クシェシュフのシトー会大修道院(シュレジエンの修道院)
Cistercian Abbey in Krzeszów (Grüssau in Schlesien)


国名 ポーランド
分類

文化遺産

所在地 首都ワルシャワの西南西およそ380km


審議歴
2001年 暫定リストに記載。
2004年 審議対象外 … 推薦書の内容に不備があるため。
2005年 辞退 … ICOMOSの「不登録」勧告を受け、辞退した。
本物件は、オーストリアやボヘミアのハイ・バロック様式の修道院複合体として顕著な作例であり(基準(2)に該当)、13世紀の聖母マリアの絵画など、中世から後期バロックまでの傑出した歴史の連続性をもち(基準(3)に該当)、シレジア地方のバロック時代の最終段階を物語り(基準(4)に該当)、シレジア地方の多文化の景観の証拠である(基準(5)に該当)として、世界遺産に推薦された。ICOMOSも、本物件がこれらの特徴を備えていることを認めている。しかし、シレジア地方のみならず、広く中央ヨーロッパに目を向けると、そこにはバロック芸術・建築の盟主ともいうべきハプスブルク家の存在があり、クシェシュフ修道院のような総合芸術作品(絵画・彫刻・建築の複合体)を残している。
世界遺産リストは、価値があり、また、興味深いすべての文化財を登録するものではない。世界的にみて最も顕著なもののみを登録する選抜リストである。すなわち、「顕著で普遍的価値」がなくては、世界遺産にはなれない。ICOMOSは、本物件にはその「顕著で普遍的価値」が認められないと判断し、「不登録」を勧告した。
なお同年、暫定リストより削除。


 


 ▲聖ヨゼフ教会
   

解説/文=漣さん

  クシェシュフはスデタン山脈に囲まれたシレジア地方の小村である。1242年、クシェシュフはシレジアの支配者 Henryk Poboznyの妻 Anna王女により、この地がベネディクト会に寄進されたことにより始まる。12世紀になるとポーランド最初の王家は、自治区としてシレジア地方を分家の公爵へ割譲した。
  しかし1289年になるとこの地は Henrykの孫である Bolko I へ返還され、その後、当時ヨーロッパで力を強めていたシトー会へと譲与された。背後をスデタン山脈に囲まれたこの地は、シトー会の規約とする「できるだけ人里離れた地」に合致していた。1301年には教会が建造され、シフィドニツァ=ヤーヴォル(Siwidnica - Jawor)地方の大公の家系が14世紀後半に断絶するまで、彼らの霊廟となった。
  14世紀中ごろ、シレジアの地はボヘミアに併合され、1526年にはハプスブルク帝国の統治下に置かれた。その後フス戦争、スウェーデンとの抗争など度重なる破壊をこうむるたびに再建、拡張を繰り返し、現在見られる姿になった。1741年にはプロシアの統治下に置かれ、ポーランドの元に戻るのは第二次世界大戦後のことになる。


  1810年にシトー会が還俗され、修道院は放棄されていたにもかかわらず、現在まで残っているその姿は、17〜18世紀に建てられたバロック様式のものであり、現存する2つの教会はバロックの至宝との呼び声も高い。
  クシェシュフでは十字架の道(Way of the Cross)と呼ばれる、18世紀から形成された20あまりの礼拝堂が修道院を囲むように配置されている。現在この修道院には1919年に戻ってきたベネディクト会の修道僧が暮らし、周囲の自然と見事に調和している。またシレジア地方には中世より続く独特の建築も多く残っている。


聖ヨゼフ教会(St Joseph's Church)
  1690〜96年の建造。外観の平坦さとは対照的に内部は白と金を基調とした内装が印象的である。ヴォールト、内陣、10ある礼拝堂すべてにフレスコ画が描かれている。これらは画家マイケル=ウィルマン(Michael Willmann)によるもので、2つの教会のフレスコ画は彼の偉業といわれる。
  描かれた50あまりの絵のなかでも「聖ヨゼフの生涯」、内陣のヴォールト全体に描かれた「聖三位一体」などは、17世紀後半に描かれたにも拘らず、2世紀ほどのちに流行した印象派を思わせる技法が使われている。ロココ調の祭壇も素晴らしい。


聖母マリア被昇天教会(Church of the Assumption)
  1728〜35年の建造。全長118m、双塔の高さは70mあり、ファサードには緻密な装飾が施されている。この教会は1301年に建てられたものをバロック様式に建て替えたものである。内部は聖ヨゼフ教会同様、白と金を基調としている。調度品や装飾は教会の建造と共に製作されたものであり、ほとんどどが当時のまま残っている。
  入り口上部には、シレジアで最も素晴らしい楽器といわれるオルガンがあり、祭壇裏には縦7m、横3.5mのピーター=ブランドル(Peter Brandl)による聖母マリア被昇天の図が描かれた絵画がある。ヴォールト全体を覆うフレスコ画はウィルマンの孫、ジョージ=ウィルヘルム=ノインハルツ(George Wilhelm Neunherts)によるものである。




 ▲聖母マリア被昇天教会祭壇

写真提供=漣さん


シフィドニツァ公廟(the Mausoleum of Swidonica Piasts)

  前述の教会の祭壇の裏はシフィドニツァ公の霊廟となっており、
内部には、ノインハルツによる修道院の歴史が描かれたフレスコ画でおおわれたドームをもつ2つの小部屋があり、装飾された回廊で結ばれている。Bolko I とその孫の Bolko II の墓石が納められ、柱には彼らとシレジアの統治者となった人物の家系図が刻まれている。





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