ハイデルベルク城と旧市街 Heidelberg Castle and Old Town
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解説/文=好古学のすすめさん 1.位置と歴史
古城と大学で知られるハイデルベルクは、ドイツ南部、バーデン・ビュルテンベルク州北西部の都市である。ライン川右岸の支流ネッカー川が、山地からライン河谷平野に出る谷口に位置する。
ハイデルベルク城は、ネッカー川左岸(南岸)のケーニヒシュツール山(566m)の山麓にある。現存する建物は、中庭を囲む16世紀を中心とする城館と、四隅などにある14〜15世紀の円形または多角形の塔である。外郭のほとんどは破壊されている。中庭の北側(麓側)の3階建(屋根裏を入れれば5階建)のフリードリッヒ館(Friedrichsbau, 1601-07)は、ドイツ・ルネサンス建築の傑作である。また、東側にある廃墟となった外観3階建のオットー・ハインリッヒ館(Ottheinrichbau, 1556-63)は、ドイツ・ルネサンス初期の好例である。内部には1958年にドイツ薬事博物館が設けられた。北西にあるファスバウ(Fassbau, 大樽棟)は観光名所で、最大の樽は約22万リットル入りである。
19世紀末から20世紀初頭にかけて、幾度か復元が提案されたが、美術史・建築史家のゲオルク・ゴットフリート・デヒオ(Georg Gottfried Dehio, 1850-1936)は、構造的に安定していることや、オリジナルの建物について十分な資料が残っていないことなどから復元案を批判し、「復元ではなく保存」を訴えた。この主張は文化財保護の原則の確立と普及に大きな役割を果たした。
ハイデルブルクの旧市街は、ネッカー川と南の丘陵にはさまれた東西に細長い土地にある。17世紀の戦禍を免れた唯一の建物である1592年建造のルネサンス式の「騎士の家」(Haus
zum
Ritter)を除けば、バロック式の建築が多い。ゴシック式の「精霊教会」(Heiliggeistkirche)は、1544年に完成したが、ファルツ継承戦争後に再建されたものである。
マイヤーフェルスター(1862-1934)の戯曲「アルトハイデルベルク」の舞台として知られるハイデルベルク大学は、1386年に創設されたドイツ最古の大学である。「アルテ・ウニヴェルジテート」(Alte
Universitat,
旧大学舎、1712年改築)や、「ノイエ・ウニヴェルジテート」(Neue
Universitat,
新大学舎)を中心に、市内に数多くの大学の建物がある。
(1) 旧市街にある「プファルツ選帝侯博物館」(Kurpfarzisches Museum)には、リーメンシュナイダーの十二使徒祭壇などの美術品や古図などの歴史資料のほか、1907年に近郊で発見された約55万年前のハイデルベルク人の下顎骨のレプリカ(実物は大学が保管)、新市街で発掘されたケルト時代、ローマ時代の出土品などの考古資料が展示されている。 (2)
アルトハイデルベルクの全景は、旧市街の対岸の山腹にある「哲学者の道」(Philosophenweg)から眺めるのがよい。 |