皆さん、こんにちは。
霧隠です。

先日の土日に関西方面のお城めぐりをしてきましたので、ご報告したいと思います。
今回は、4月6日の「城の日」に毎年特別公開で普段入れないところに入れる
姫路城をメインに予定を組んでみました。
桜は残念ながらほとんど散り始めでしたが、それはそれで風情がありました。
満開の桜も好きですが、宙にひらひら舞い落ちる桜吹雪もいいものです。

さて、6日は大阪駅から姫路に向かう途中にある城郭を中心に攻略するつもり
でした。
名づけて「駅前城郭めぐり」。

まずは、尼崎城。
駅からも石垣が見えるこのお城は、以前大井さんが絶賛していたお城。
でも、現在は遺構も少なく当初の予定は滞在時間20分でした。

・・・が、なんと4時間も滞在することに!
朝の8時半スタートで、12時半までの充実したお城めぐりができました。

まずは、駅から見えているお堀と石垣、塀を堪能。
軒瓦には戸田氏の家紋「九曜紋」があり、石垣の積み方もええ感じ。

「あぁ、尼崎城も現在はここしか遺構が残ってないのだなぁ。」
としみじみ見とれていたら、ぬわんと、この石垣と塀。
実は、真っ赤なにせものなのです。
ここにこのような石垣も塀もなかったのです。

あとで、
尼崎市総合文化センター
の6階にあります、資料館で詳しいお話を聞いた際に説明されましたが、
現在石垣があるところは、城域の一番はじっこで、武家屋敷のさらに奥で、
当然そのようなところまで、石垣や塀などは作られておらず、駅から見栄えが
するという理由であの場所に作ったものなのだそうです。
ですので、お城の古地図にも載ってない、完全に「想像上の遺構」だそうです。

これを知ったときの衝撃といったら。

はい、かなりええなぁと喜んでおりました。
石垣なんか登ったりしていました。
・・・まだまだ本物というものが分かっていないことを実感。

さて、この石垣、まがいものですがよくできており、本当にここにお城が
あったと思ってしまいます。
しかも、その裏には図書館などありまして、じゃぁ、ここが二の丸だったの
かしらんと思う雰囲気です。
事実は全く違うのですが、なかなか気づきません。
また、逆にこの図書館を敵の手から守るためにこの石垣を作ったのではと
思うくらいしっかり石を積んでます。
ある意味いい仕事をしています。

次に最後の城主「桜井松平家」を祭った「桜井神社」を参拝。
ここには、神社の前に当時の尼崎城の鬼瓦があり、そこにも戸田氏の家紋
「九曜紋」が刻まれております。

ここの神主さんに城内の甲冑や資料を展示してある場所を教えていただきました。
以前、伊藤さんがご紹介してくださった尼崎城の模型のある会館です。

その前に、せっかくここまで来たので、何にもないのは分かっていましたが、
本丸跡に向かうことに。
うわさによると城内の学校に往時の尼崎城の模型が校庭に飾られているとのこと。
左手に三の丸公園を見ながら、まずは尼崎中学校を訪問。
近くにいらっしゃった先生に模型のことを聞くと分からないという。
仕方がないので、小学校の場所を聞き、隣の小学校に向かうことに。

あ、あった!
フェンス越しに見えるミニチュア尼崎城。
しかも、2つの隅櫓もあったりして。

さっそく近くの用務員さんに見てもいいですか〜と頼んだところ、快く承諾して
いただき、案内してもらうことに。
説明板を見ると昭和の始めにここの小学校の先生と生徒が作ったようです。
4層の立派な尼崎城の模型もかなり傷んでおありましたが、なかなかの存在感。
こんな素敵な模型のある小学校、ええなぁ。

ここで、ちょっと閑話休題。
残念ながら用務員さんはお城のことは詳しくなかったのですが、ちょっとおもし
ろいお話を聞けたのでご紹介を。
ここの尼崎城の模型は、天守閣と2つの櫓だけでなく、なんとお堀まであるので
すが、ぐるりと囲んだお堀になぜか「金網」がかどっちょに置かれています。
しかも、コイたちもいるのです。
が、色鮮やかな錦鯉の姿はどこにもなく、また普通コイは人が近づくとエサを求
めて人なつっこく近づいてくるのですが、ここのコイはむしろ遠ざかっていきま
す。
なんだか何か似おびえて逃げているよう。

実は、ここのコイ、用務員さんの話では命を狙われているようなのです。
そいつの名は「タカ」。
タカが空からお堀のコイを狙って攻撃してくるそうで、すでに何匹もその餌食に
なっているそうです。
なので、ここのコイは目立つ錦鯉は全滅し、今は黒いコイしかいなくなり、絶えず
金網の下でおびえながら暮らしていると。

ということで、お城のお堀に錦鯉の姿が見えない場合は、近くの「タカ」に食べら
れてしまったということも考えられそうです。

・・・ほ、ほんまかいな。

ま、まぁ、近くの川にはすっげーうじゃうじゃコイが口を開けていましたが。

その後、先ほど書いた尼崎市総合文化センターに向かい、6階の資料館に行くと、
係りの方が尼崎城の貴重な資料や古地図、古写真を見せてくださり、先ほどの石垣
の話はもとより、当時の丸、二の丸、三の丸の場所を説明してくださりました。
聞くところによると、尼崎城は、明治維新で民間に払い下げられた際に、見事に
バラバラにされて売られ、民家の家のパーツとして利用されたようです。
多くは戦災で焼失してしまいましたが、今もお城の板張りや部屋の一部を家の部屋
として利用している家もあるようで、その部屋だけ異様に豪華だそうです。

また、古地図から現在の三の丸公園も真っ赤なにせものだと判明。
さらに当時の本丸は現在、小学校、中学校、高校と公共施設があり、見事な堀も
完全に埋め立てられ、当時の姿を残すものは、「全く」ないそうです。
でも、発掘調査は続けられているようで、報告書も数多くかかれているようです。

尼崎城の資料や話を聞きたい場合には、この資料館を尋ねるといいかもしれません。
30分以上大変丁寧にご説明してくださいました。
貴重な古写真も必見ですね。
ご説明してくださった方に感謝、感謝。

じっくりお話を聞いたあと、帰りがけに先ほど神主さんにも話を聞いた
尼信会館(尼崎信用金庫)
のポスターを拝見し、また、その係りの方にもすすめられたこともあり、
せっかくなので、訪ねて見ることに。
結果としては、行って本当によかったと思います。

次回は、この会館で聞いた話をもとに、「尼崎城物語〜尼崎城の興隆と衰退〜」
についてご報告したいと思います。

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