皆さん、こんにちは。
霧隠です。
素晴らしきお城、福山城に行ってまいりましたので、ご報告したいと思います。
福山城・・・元和5年(1619年)徳川譜代の臣、水野勝成公が備後10万石の領
主となり、ここ福山に一大城下町を形成します。
その後、水野家五代、松平一代、阿部氏氏10代と続き、幕末を迎
えます。
明治6年、廃城になり、天守閣、伏見櫓、筋鉄御門、御湯殿を除い
て、城郭はほとんど壊されてしまいます。
しかも、昭和20年には戦災で天守閣、御湯殿が焼失。
しかし、昭和41年に早くも復元されました。
と、天守閣でもらえるパンフを見ながら書いていますが、実は、それほど期待は
していなかったのです。
正確に言うと福山城の知識がほとんどない状態で訪れました。
・・・すみません、福山城。
あなたは素晴らしきお城でした。
例え天守閣が復元でも・・・
例え内堀が道路のために潰されても・・・
例え外堀が新幹線のために潰されても・・・
例え三の丸が住宅地のために埋められても・・・
あなたは名城の名にふさわしいお城です!
まずは、福山駅から降りてすぐにどどーんとすっごい石垣がお出迎え。
これだけでも笑みがこぼれます。
高さは5mほどあるでしょうか。
見事な打ち込みハギで、かつコーナーの算木積みが美しい。
さらに、いたるところに刻印が刻まれ、それを一つ一つ眺めるだけでも飽きませ
ん。
階段を登っていくと、すぐに櫓があります。
これが福山城が誇る現存の「伏見櫓」。
安土桃山文化を象徴する華美な作りのこの櫓。
立派な重要文化財です。
京の伏見城が廃城になった際に、ときの2代将軍、徳川秀忠公から移築を許され
たそうです。
三層の見事な伏見櫓を見るだけでも思わず圧倒されます。
続いて、同じく伏見城から移築されたという筋鉄御門。
扉に数十本の筋鉄をうちつけているのでこの名がついたそうです。
どっしり構えています。
ただの門でなく、櫓門になっております。
これも重要文化財です。
筋鉄御門をくぐるとそこはもう本丸。
少し歩くと五層六階の天守閣がででーんとそびえたっています。
そのまま天守閣に登城。
入城料は200円。
展示物はなかなかです。
特に印象的な展示物が「ウサ耳の兜」です。
いろいろなカブイた兜を見たことがありますが、これほどラブリーでプリチーな
兜ははじめてみました。
兜の側面に2つのウサギの耳。
殺伐としたいくさの場には不釣合いなかわいらしさ。
ある意味一見の価値ありかもです。
そのほかにも、水野家と加藤家の婚姻について。
さりげなく水野家の家系図が展示されていますが、じーっと見たら、
あの加藤清正公の娘と水野勝成公(もしくは、彼の息子・・・ちょっと失念)が
結婚し、その娘が尾張名古屋藩の藩主と結婚しています。
さりげなく、加藤清正公の血が尾張徳川家に入っているのにはビックリです。
そうそう、忘れてはならないのが、福山城の模型図。
いつ見てもこの城下町の模型図にはほれぼれしてしまいます。
天守閣、本丸、二の丸、三の丸、各種櫓、門、塀、内堀、外堀、城下町・・・と
往時の福山城が見事に再現されています。
今は見る影もないお堀や櫓達。
失われたお城のことを思うと感慨深いものがありまする。
それでも、この福山城は尼崎城に比べれば、天守閣は再建されているし、伏見櫓、
筋鉄御門は現存ですし、恵まれています。
しかし、これに水堀も加わっていたら、お城感はもっと高まったものを・・・
さて、高さ33mからのながめは最高です。
福山市外が一望できます。
気持ちのいい風も吹いておりました。
駅から天守閣の最上階に登り、駅に帰る。
時間にして1時間くらいでしょうか。
駅前にある城郭としてはちょっとした散歩には最適でしょう。
実際、観光客は駅から伏見櫓、筋鉄門、天守閣と見学して、福山駅に帰る。
昨日のしまなみ海道でぐったりしていたので、思わず某もこんなもんかぁ〜
と思い、駅に戻りラーメンを食べて、鞆の浦に向かうか〜と思ったのですが、
・・・なんか違う
・・・福山城はこんなもんじゃないはずだ
・・・もうちょっと探索してみるべか
と今度は福寿会館横手の登り口から登城してみました。
そしたら、福山城の素晴らしさを再認識いたしました。
福山城はやっぱりすんばらしいお城でした!
次回は、総石垣のお城、福山城についてご報告いたします。
それでは〜