福原さん、皆さん、こんにちは!
霧隠です。
そう、Fさんが昨年ご報告された肥前名護屋城のレポートを見て
某も行きたくなったこの名護屋城。
やっぱり、ええお城でした。
今回は、パンフレットがあるので、比較的正確にご報告できそうです。
さて、自転車を駐車場の脇に置き、さっそく攻城開始!
たどったコースは、東出丸→水手郭→遊撃丸→船手口→ぐるっとまわって
搦め手口→弾正丸→二の丸→本丸→本丸大手門跡→三の丸→大手口です。
それでは、ひとつひとつ見所を。
東出丸。
ふつーは大手口から入るのですが、目の前にある石垣にふらふら〜と誘われ
気付いたら東出丸に誘いこまれておりました。
結構石垣の崩壊がすごいと聞いていましたが、どっこいしっかりとした石垣も
残されており、特にここの石垣は立派でした。
水手郭。
ふつー東出丸からは三の丸の方が近いのですが、忍者の習性上、細く狭い道に
引き寄せれて、かなり崩壊激しい石垣を横目に水手郭に到着。
ここの石垣の崩壊はすさまじく、もはや土塁のようになっておりました。
また、途中、途中、崩れた石垣というか、石がゴロゴロしており、もはや
往時の威風は感じられません。
遊撃丸。
明の講和使節遊撃将軍が由来のこの遊撃丸。
なかなかええ感じです。
四方をぐるりと石垣で囲まれており、その所々が崩壊しております。
それを必死に土嚢で修復されておりまする。
結構な広さで、当時はこの石垣の上に塀があったのでしょう。
あぁ、肥前名護屋城に来ているんだなぁと思える素敵な場所です。
特に虎口もオツなもので、しっかり石垣で枡形の形を留めております。
船手口。
ここに降りて、二の丸の石垣をながめました。
ここも崩壊が激しいですが、それでも力強くしっかり残っている
石垣もあります。
ここから二の丸、弾正丸の下を大きく迂回して搦め手口に回りました。
搦め手口。
某どういう訳か、お城の搦め手口というのが大好きで、大手口をほって
おいてもまず行きたい場所がこの搦め手口。
肥前名護屋城の搦め手口もそんな某の期待にかがわぬいい雰囲気を持って
おりました。
このひっそりとした、しかし、絶対ここを通すものかという力強いたたずみ。
お城の縁の下の力持ちのようで好きなのですが、ここの搦め手口は・・・
す、すげ〜。
ふつーのお城の大手口のような枡形門。
石垣も立派だし、その大きさたるや思わず圧倒されます。
肥前名護屋城にお越しの際には、ちょっと足をのばしてこの搦め手口も攻略
してみてください。
ええ仕事しております。
弾正丸。
城の取締本部があった場所で、名護屋城総取締役の浅野弾正長政の名にちな
んで名づけられたこの曲輪。
入ってすぐに立ち入り禁止の看板が!
遠出で見ると・・・木が一面に植えられておりました。
ええ、しっかり地元の方の果樹園として活用されておりまする。
二の丸。
この広大な二の丸も一面石垣でしっかり囲まれておりまする。
ここの海側の石垣が発掘さて、いろいろな瓦や茶器が出土したようで、その様子を
詳しく看板が説明してくれています。
ちょっと崩れかけていますが、石垣に登れる石段があり、玄海灘を見下ろす・・・
石垣や つわものどもの 夢のあと・・・
・・・すみません。パクリましたm(_)m
ここも発掘中なのか、いろいろな建材や作業車がありました。
本丸。
二の丸からせっかくなので、崩れた石垣を直登し、本丸を急襲しました。
当時はこんなことはできないくらい見事でたっかーい石垣だったのでしょうが、
完全に崩れてしまった現在は、なだからな坂道のごとくテクテク登れます。
(もちろん、石垣を崩さないようにその場所はよけて登りましたけど)
本丸は、
広い!
でっかい!
何もない!
という感じです。
い、いや、東郷平八郎元帥の「名護屋城跡」の立派な碑文がありますが・・・
本丸から天守台に向かうと、そこには玄海の青海原が広がっており、対馬、壱岐も
眺望できるすばらしく景色。
名勝とはここのことをいうのでしょう。
玄海国定公園・・・海のながめはまさに絶景。
来てよかったと思えるながめです。
さらに眼下には陣屋跡が点々と広がっており、あそこらへんに清正公の陣所が!
あっちが義弘公の陣所かなぁとか楽しめます。
風が強かったですが、この天守台に五層七階の天守閣があったのです!
そりゃぁ、もう、みごとな眺めだったでしょう。
と、遅くなってしまったので、本日はここまで。
大手門跡以降は次回にご報告させていただきます。
それでは〜