Kさん、皆さん、こんにちは!
霧隠です。

Kさんのお声を聞かなかったら来る気が起きなかった肥前名護屋城。
途中、途中、はげましてくださりありがとうございました!
それにしても風がひどかった(>_<)

さて、本丸から大手門跡に行きましたが、こいつがまたすごい!
大手門。
2層の豪壮な門で、秀吉公との約束で、伊達正宗公が仙台城(青葉城)の
大手門として移し、空襲により焼失するまで立派な国宝だった門です。
・・・あぁ、見たかった(TOT)。

この大手門のそばにある高台にも登ってみましょう。
なにやら看板があります。
なになに、「発掘調査によって、三の丸から本丸に通じるこの場所で、
現在の石垣の内側にもう一つ石垣が埋められているのが発見された。
これも名護屋城の謎の一つである」
いわれてみたら、ぽっこり石が地面に浮き出ています。それも直線に。
なるほど、今の石垣はもしかしたらあとで拡張されたのかもしれませぬ。
謎の多い、名護屋城今後の発掘調査が楽しみです。

そうそう発掘調査といえば、二の丸から三の丸に通じる馬場も現在石垣の
修復のために通行できません。
ここの石垣もかなり破損がひどいようです。

三の丸。
ここは木々がうっそうと茂り、あたりはほの暗くなかなかええ雰囲気です。
ちょっとした山城に来ている錯覚がいたします。
名護屋城図屏風には、この三の丸に公家装束の人物が描かれております。
また、中央には井戸もあります。
広さも結構あります。

大手口。
東出丸から大手口にむかう道の石垣がもっとも破損がひどい場所のひとつ
ではないでしょうか。
某うっかり、東出丸から侵入してしまったので、この大手口の崩れた石垣
を見ないで城内を一周しましたが、ふつーは名護屋城にたどりついて、この
大手口をみたら、誰もが世の無常といいますか、栄枯盛衰を感じるかも
しれません。
それほど崩壊がひどいです。

大手口を出ると(といいますか、ここが正規の入り口です)、観光案内所が
あり、ここで100円の清掃費を支払いますと、縄張り図つきのパンフをもらえ
ます。
今よく読んでみると、この肥前名護屋城はもともと松浦党の波多親の家臣、
名護屋経述の居城(垣添城)を大きく改造したものだそうですが、その際、
設計(なわばり)をしたのが、加藤清正公だったそうです。
さすが、清正公、ええ縄張りです。

大体のんびり1時間半のコースでしたが、大満足の訪城でした。
まだ、ちょっと時間があったので、せっかくなので、近く(というか隣)の
佐賀県立名護屋城博物館に寄ってみることに。

な、なんとここは無料でした!
しかも、名護屋城のジオラマあり、秀吉公が明国からもらった平国王宛の例の
手紙の複製もあったりと、教科書でみたような貴重な資料がぎょーさんあり
ました。

時間がなかったので、ゆっくり見れませんでしたが、学芸員の方も親切で
感じのいい博物館でした。
どうして無料なのか聞いたところ、町おこしの一環でもありますとのこと。
こんだけ広大なお城である名護屋城。
さらには120にも及ぶ全国各地の大名の陣所跡。
貴重な資料もだんだんと集まってきているとのこと。
これから肥前が熱くなってきそうな予感です〜

よ〜し、また来るぞ〜
という思いを旨に博物館を後にしました。

と、忘れていました。
この博物館、福原さんもご報告されていますが、木下延俊公の陣所の
そばにあります。
ですので、裏庭に行くと、保存された陣所を散策できます。
これが、また、なかなかの遺構なのです。
実際に下に下りて見れないのが残念ですが、発掘された遺構がむき出しに
保存されているのは興奮ものです。

がぜん、陣所跡に興味を持ちました。

さぁ、今は3時。
来たときに1時間10分だったのですから、4時40分の電車で唐津を出
るためには3時半には名護屋城を自転車で出ないと・・・東京に帰れない。

でも、加藤清正公の陣所や島津義弘公の陣所も見たい!
その思いを捨てきれず、時間を気にしながらの陣所めぐりをスタート
いたしました。

次回、九州攻め最終話は感動の島津義弘公の陣所跡についてご報告させて
いただきたいと思います。

それでは〜

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