【キリのコメント34】

 いよいよ古事記も上巻から中巻になり、神代の時代から人間の時代に変わりま
 す。
 
 神武天皇(カムヤマトイハレビコ)は初代天皇ですが、このころから神のよう
 な神通力はなくなり、人間らしくなります(でも、まだまだ神がかりなパワー
 をさずかったりしますが)。

 さて、天孫ニニギノミコトが日向の高千穂に降臨してから、日本書紀によると
 1,792,470年たったそうです!
 百七十九“万”二千四百七十年
 漢数字にするとそのすごさが際立ちますね。

 さらに日本書紀によると、神武天皇の東遷は45歳のときだそうです。

 しかも、東遷を進言するのは、古事記でも山幸彦に海の国の行き方を教えた、
 シオツツじいです。

 結構、古事記と日本書紀で微妙に違うところがあるのはおもしろいですね。

 これも古事記では書かれていませんが、日本最初の戦闘といってもいい、合戦
 は、日本書紀によると「孔舎衛坂(くさえのさか)」で行われたそうです。

 日本書紀では、日の神の子というのは、神武天皇になっており、回り込む作戦
 をたてるのも神武天皇になっています。

 ところで、神武天皇の東遷の行程は、宮殿の名前は違いますが、場所は古事記
 も日本書紀も同じです。

 せっかくなので、それぞれの伝説地もご紹介しておきます。

 岡田宮…福岡県遠賀郡芦屋町の遠賀川の川口にある崗水門
 多祁理宮…広島県安芸郡府中町
 高島宮…岡山県玉野市の南の宮ノ浦

 ちなみに、日本書紀には難波(なにわ)の名の由来が書かれています。
 それによると、難波崎に着こうとしたとき、潮が速くとても速くついた。
 なので、そこを浪速国(なみはやのくに)とした。
 また、浪花(なみはな)ともいう。
 それが、なまって難波(なにわ)となったと。

 古事記、日本書紀にはこうした地名の由来がいろいろ書かれているので楽しい
 です。

 しかし、天皇の兄でさえも死亡してしまう、厳しい戦い。
 広島までは抵抗らしい抵抗もない中、奈良市の富雄町ではナガスネビコが立ち
 向かいます。

 ちょっとくさい書き方になりましたが、イツセノミコトは矢が手に当たって死
 んでしまいます。

 彼を葬った伝説地は、和歌山県和歌山市和田にある竈山神社(かまやま)で、
 近くにある古墳が竈山陵と伝えられているそうです。

 ホヲリノミコトや神武天皇など、昔は必ずしも長男が跡を継ぐわけではないの
 ですね。

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