霧隠@武者返しをいつの日か克服するぞ! です。

今回も長文になりまするので、お時間のある方、こんなお城の楽しみ方が

あるんだという興味がある方はお読みいただければうれしいです。

大体5時間に及ぶ熊本城城攻記です。

さて、OFF会には何度か遅刻をしている常習者の某も電車は甘やかして

くれないので、朝の6時にきちんと起き、6時48分の熊本行きの各駅

停車に乗って、一路熊本へ!

9時10分到着、そのまま熊本城前まで市電(チンチン電車)にて10分。

ここで、ちょっと迷子になって、10時に熊本城前に到着(そんなお馬鹿な

人は某だけとは思いまするが、市電の「熊本城前」で降りたら、右側に

歩きましょう! 左に行くと逆方向です・・・)。

少し歩くと、加藤清正公の大きな銅像が!

うーむ、長い帽子がとっても似合う〜。

前から、横から、後ろからじっくり観察いたしました。

なんともいえない貫禄です。

ここでもやっぱり大手門からは入らない(忍者の性質上)で、さらに、

櫨方門にもいかずに、そのまま下の日本一を誇る「長塀(約242.44m)」

(重要文化財)をまずは堪能。天然の堀である坪井川に沿って、

平御櫓から馬具櫓まで一直線に築かれています。

すんごく長〜〜〜いです。

しかも、石垣立派! これじゃぁ、侵入できないよぅ。

圧巻ですね。

ただ、疑問もひとつ。

どうして、塀に鉄砲穴がないんだろう。他の櫓や塀にはあるのに。

ここから、川向こうに鉄砲で「ズバババーン」と打てば、どんな軍隊でも攻略

できないでしょうに。

なにか意味がいるのでしょうか?

敵を油断させ、近づいたところを、地雷で「ドーン」・・・

冗談はさておき、どなたかご存知の方がいらっしゃったら教えてくだされ。

さて、この天然のお堀である、坪井川。

ただのお川じゃありませぬ。

なんと、お堀の定番、かわいい、ぷっくら太って、人懐っこいコイ、コイ、コイ。

コイの大軍が川をゆうゆうと泳いでいます。

コイは池にいるものと思っている某にはビックリでした。

そのまま、長塀をテクテクと歩くと、そこは須戸口門。ここで、荷物を

コインロッカーにしまい、本腰を入れて熊本城を堪能する決意を新たにしました。

まずは、平御櫓に登り、鍵穴のチェック・・・やっぱり開いてない(TOT)

すごすごと降りたあとは、竹の丸。ここは、肥後六花園(ツバキ・キク・

サザンカ・ショウブ・シャクヤク)が植えてあります。細川のお殿様が

家臣のために建てた趣き深いものです。さすが、古今伝授のお家柄。風流の

伊吹を感じます。

お城の中に入って、まずはうっとり・・・

すばらしき石垣・・・石垣・・・石垣・・・

思わずしばし、見とれてしまいました。

ご存知の方も多いと思いますが、この熊本城。

加藤清正公の自信作のお城で、日本の三名城のひとつでありまするが、

そのなかで有名なもののなかで、「武者返し」と呼ばれる石垣の積み方が

あります。

それは、石垣のふもとはゆるやか〜に積んであり、某のようなヘッポコ忍者も

5段くらいすいすい登れるのですが、上にいくに従い、急勾配。

8合目くらいから、ほとんど垂直!

武者どころか、名だたる忍者だって登れるかい!

という代物です。

いやー、清正公、いい仕事しています。

それから、天守閣をめざして正面からゆるやかな階段を上っていきました。

途中、櫓跡に登ったり、石垣を登ったりと、楽しみながら登城しました。

高所恐怖症にもかかわらず、櫓跡から下を見ると、石垣の急勾配ぶりが

分かります。

で、このまま飯田丸(清正公の家臣、猛将:飯田覚兵衛の屋敷跡)に行かずに、

忍者らしく(?)櫓跡から、飯田丸の外側をぐるりと旋回しました

(一応、侵入禁止の立て札はなかったので)。

ここから、完全に入り口でもらった縄張り図を参考に、通常とは全く違う

裏ルート(?)で熊本城を探索しました。

一応すべてのルートには、立ち入り禁止のないところだけを侵入しています。

貴重な文化遺産である、熊本城を傷つけたり、汚したりは決してしておりません。

ただ、誰も行かないだろうなぁというところをこっそり入ってみました。

飯田丸の外側をぐるりと回ると、備前堀の内側に抜けます。

備前堀の内側を歩いて行き止まりには、なにやら洞穴跡が。

けっこう奥までありそうですが、臆病者の某は中まではみれませんでした。

行き止まりになったのですが、上を見上げると、そこは土塁というか、土の

坂道だったので、いそいそとよじ登り(多少の土塁は攻略できます)、

登った場所が、西櫓門。ここは、修理中なのか、ここから中には入れませんでした。

仕方ないので、行幸坂を登って、西大手櫓門へ向かいました。

ここは、加藤家が改易になって、細川家が入部するときに、加藤家の旧家臣が

騒ぎを起こそうとしているのを、察知した細川忠利公が、清正公の位牌を

先頭に、この大手門の正面で、これからお城を貰い受けますと深々と頭を

下げた場所で、そのとき、忠利公の烏帽子(?)の紐が門の中央に触れ、

それからは、城主、家臣ともども大手門の中央を恐れ敬って歩かなくなったという

話があります。

と、大変長くなってしまったので、一旦話をきりまする。

長々と書き連ねて申し訳ござりませぬが、続きを認めたいと思います。

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