皆さん、こんにちは。
霧隠です。
さて、長篠城攻略記、第2話は、武田軍の布陣についてです。
図に書くとこんな感じです。

完全包囲とはこのことです!
しかも、兵力差は 15000 VS 500 です。
よくぞ持ちこたえたと奥平軍をほめてやりたいです。
全ての陣地を徒歩で歩くのは難しいので、今回は、
長篠城→大通寺陣地→医王寺陣地→天神山陣地→長篠城→鳶が巣山砦というコー
スをたどりました。
時間にして大体3時間くらいのコースです。
まずは、長篠城から大通寺陣地へむかいます。
長篠城からすぐで、歩いて5分くらいでお寺にたどりつきます。
ここは内藤、馬場、山県、土屋の4人が武田の滅亡を予感し、水杯を交わしたと
ありますが、武田の滅亡が分かっている後世につくられたお話のような気もしま
す。
とりあえず、陣地へ向かいます。
ここは武田信豊公と馬場信春公が約2千の兵で布陣していました。
この陣地に向かう現在墓地になっている場所からは長篠城を見下ろすことができ
ます。
長篠城から陣地までは大体徒歩で20分あまり。
しっかり案内板が建っています。
しかし、あたり一面はヤブだらけ。
それでも下草はすでに枯れていたので、少し探索致しました。
すると、かなりの広範囲で地面が削平されていることに気づきます。
2千の兵を収容するのは容易な広さです。
ここに馬場信春公がおわしたのかぁと思うだけでなんだかうきうきしてきます。
そのまま山にできた遊歩道をてくてく歩くと車道にでます。
さらに進む(道を下る)と武田勝頼公が布陣した医王寺山にたどりつきます。
大通寺陣地からは大体30分くらいでしょうか。
ここもお寺になっています(名前は失念)。
お寺の裏手が勝頼公が布陣した医王寺本陣になります。
お寺の脇道を歩くこと10分。
あっというまに頂上にたどりつきます。
なんといっても標高自体も100mくらいしかない山なので、すぐです。
この本陣跡には、現在立派な“櫓台”があります。
わずか3mばかりのこの展望台。
たった3mではありますが、これがあるお蔭で長篠城がよく見える、よく見える。
まさに、見下ろすように見えるので、
「奥平め、さっさと降参せぬかっ!」
と勝頼公がいきりたっている姿を想像できます。
長篠城からわずか1キロの距離にあるこの本陣。
本当に長篠城なんてあっというまに落とせるとつい錯覚を起こしてしまいます。
それほど景色がいいのです。
しかも、廻りは一万五千の勇猛果敢な武田軍が城を囲んでいます。
そのとき勝頼公は何を考え、何を思ったのか。
さらに、この医王寺本陣は、武田の滅亡を早めた設楽が原に武田全軍が向かうこ
とを決した最後の軍議が行われた場所。
小説では、
「御旗、盾無しに誓って!」
と勇ましく戦勝を祈願して、設楽が原に打って出ることを強硬なまでに反対した
老臣の意見を振り払って打て出ることに決した勝頼公。
そのときの状況は後ほど考察するとして、この本陣で武田家の命運を変えた軍議
が行われた! と思うだけで、感慨深いものがござります。
この場所に勝頼公がいて、ここに山県三郎兵衛公がいて、ここには馬場信春公が、
こっちには内藤昌豊公が、真田の兄弟もいたのかも〜と思うだけで楽しくなって
きます。
歴史上の人物と同じ場所に立つ。
本を読むだけでは味わえない戦国の息吹を肌で感じることのできる瞬間です
(^^)
さて、十二分に医王寺本陣を堪能した後、すぐそばにある天神山に向かいました。
ここは医王寺山からは歩いて20分の場所にあります。
小高い丘のような場所で、現在は天神社があります。
この天神山陣地には、かの信綱公、昌輝公の真田兄弟が布陣した場所です。
有名な真田昌幸公のお兄さんです。
おぉ、ここにおわしたのか〜
と真田ファンでもある某はちょっと興奮状態。
・・・ただ、木が茂っていて視界は悪かったです(−−)
帰りは神社の石段を降りて、そのまま長篠城に戻ります。
後で知りましたが、どうせだったら、赤備えの山県三郎兵衛昌景公の陣地も行く
んだったぁぁ。
さて、今度は長篠城の横の道を歩き、踏切を越え、野牛郭に向かいます。
ここは草ボーボですが、なかなかの広さ。
本丸から10mくらい下にあります。
この野牛郭の先端が川になります。
宇連川と豊川の合流点です。
近くまで降りる道があります。
川は非常にきれいでつめたかったです。
河原に下りてふと横をみると川の向こう側に渡れる橋発見!
・・・これは行ってみなければ。
うまくいけば、鳶が巣山に行けるかも〜
と思い、板を置いただけの長さ20mくらいの手作り橋をおっかなびっくり渡り
ました。
すると川向こうに出ます。
ちょうどいいので、このまま鳶が巣山砦にむかいます。
鳶が巣山砦とは、図にも書きましたが、長篠城を遠くから囲んだ5つの砦群の中
でも武田一族の武田信実公を配した砦です。
後方部隊の司令塔のような砦です。
勝頼公が設楽が原に打って出ていく際に、この5つの砦を長篠城の抑えとしたに
もかかわらず、徳川軍の酒井忠次軍に奇襲されて敗退してしまう砦でもあります。
ここは長篠城から約1キロ。
しかし、最初の300mは平地ですが、残り700mはわずか標高100m級とはいえ
立派な登山道。
現在は車道になっているので、車でも簡単に行けますが、徒歩だとちょっときつ
いです。
長篠城から大体40分くらいかかります。
ただ、「←鳶が巣山砦」という案内板があるので、迷うことはないでしょう。
とぼとぼ歩いていくと、駐車場があります。
そこを降りていくと、鳶が巣山砦。
ここからの景色は木々の間からですが、長篠城がはっきり見渡せます。
まさに見下ろすという気分です。
でも、ちょっとお城からは遠すぎる気がします。
目の前の長篠城だけを見てはいけません。
ふと振りかえって、後ろの山並みを眺めます。
・・・本当にこの山を酒井忠次公は4000の兵で来たのだなぁと。
けっこうすごい山です。
特にヤブがすごそう(−−)
その後、直接長篠城駅に向かいました。
大体駅まで30分くらいです。
結局このコースを徒歩で行くと、2時間半以上かかります。
でも、こうして実際に長篠城周辺を歩くと、武田軍と長篠城の距離感がよく分か
ります。
・・・ものすごく近いです。
そして、長篠城より微妙に高い場所に布陣しているので、城内は丸見え、すごい
圧迫感を奥平軍に与えていたことでしょう。
完全に長篠城を包囲した武田軍。
囲む兵力は武田の精鋭、15000。
篭城側の兵力はわずか500。
兵力差は30倍。
なのにどうして長篠城は落城しなかったのか?
なぜ武田軍は長篠城を落とすことができなかったのか?
次回は、長篠合戦の謎に気ままに迫りたいと思います。
それでは〜