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 戦国の風雲児〜織田信長一代記〜 第10号 2003年11月13日発行
 「第10話 村木の砦の攻防戦」
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 「お館様、一大事です! 岡崎にいる今川勢が、山岡城を攻め滅ぼし、そこを
  根城にして、小河の水野金吾殿の城に向かっております。」

 「何! もっと詳しく状況を述べよ」

 「はっ、今川勢は、村木という場所に堅固な砦を築き、そこにたてこもり、さ
  らに近くの寺本城も今川方に人質を出し、今川方に加担し、小河への通路を
  ふさいでしまいました!」

 「そうか、それならば、敵の背後を衝くしかない。しかし、今、兵を小河に向
  ければ、清洲から背後を襲われるな。」

 「いかがいたしましょうか?」

 「ふむ…、そうだな、舅殿に助けを借りるか」

 「と申しますと…」

 「美濃の道三殿に援軍を請うということだ。さっそく使者を美濃に遣わすのだ」

 「はっ!」

 ……………………………

 「殿、尾張の信長より援軍の要請が参りましたが…」

 「そうか、して、使者は何と言っておるのだ」

 「信長が小河へ援軍に行く際に、殿には兵一千を送っていただき、尾張の留守
  居をお願いしたいとのことです」

 「ほぅ、美濃のまむしと呼ばれたわしをひどく信用しているではないか」

 「いかがいたしましょう?」

 「ふぅむ、おもしろい。婿殿の頼みだ、ここは兵を送ろうではないか。伊賀守
  はおるか?」

 「こちらに」

 「そなたは千の兵を率い、尾張で見聞きしたことを毎日わしに報告するように」

 「ははっ」

 ……………………………

 「ようこそお出でくださいました」

 尾張に着いた安藤伊賀守に信長は自ら出向き、あいさつをした。

 「お館様…」
 
 「どうした?」

 「林新五郎、美作兄弟が明日の出陣に対して不服を申し立て…」

 「それで?」

 「荒子の前田与十郎の城へ立ち退いてしまいました」

 「そうか」

 「それで、いかがいたしましょうか?」

 「ふん、そんなことどうでもいいことだ。かまうな、このまま明日出陣する」

 「はっ! かしこまりました」

 そして、翌日は熱田に泊まり、その翌日、いざ、攻め込もうとしたところ…

 ビューーーーーーーーーーーーーーーー

 「お館様、船頭たちがこの大嵐では渡海はできないと申しております」

 「では、こう船頭たちには伝えよ。源平争乱の際に、義経と景時とが逆櫓をつ
  けるかつけないかで争ったときもこのような大嵐であった。だからこそ、ぜ
  ひとも渡海したいのである。必ず船を出すのだ! と」

 「かしこまりました!」

 こうして強引に船を出させて、1時間で目的地に無事到着し、すぐに小河にい
 る水野下野守(金吾の息子)に会いに行き、現状を聞き、その日は小河に宿泊
 した。

 「明日の布陣を伝える。孫三郎叔父は西の搦め手を、東の大手は金吾殿にお願
  いする。」

 「すると、お館様は…」

 「うむ、私は南方を受け持つ」

 「なれど、その場所は、堀も深く城内で最も堅固な場所ではございませんか。」

 「だからこそ私が受け持つのだ。明日はこの信長も前線に立つ。皆の者、大い
  に励めよ」

 「おぉ!」

 …………………………

 「かかれっ!」

 「わぁぁぁ!」

 信長の号令一過、若武者たちはわれ劣らじと攻め上り、突き落とされてはまた
 這い上がり、死を恐れず攻め続けた。
 その結果、負傷者、死者の数も分からぬほどであった。

 「放てっ!」

 信長自らも堀端にたち、鉄砲で城の狭間3つを受け持った。
 信長自らの命令によって兵たちも奮い立ち、われ先に攻め立て、ついに城内に
 達した。

 搦め手口も大手も信長方が優勢に戦いを進め、城方も必死の抵抗をするもすき
 間を与えずに攻め立てられた結果、城内の死傷者が増え、ついには降参した。

 「お館様、敵が降参して参りましたが、いかがいたしましょうか?」

 「本来であれば、このまま攻め滅ぼすところではあるが、こちらの被害も甚大
  だ。」

 「となると…」

 「うむ、そろそろ日も暮れてきた。仕方ない降伏を認める。金吾殿、後はそな
  たに任せた」

 「はっ、かしこまりました!」

 「こちらの被害状況を知らせてくれ」

 「はっ、こたびの合戦は我が方の被害も多く…」

 本陣にて、討ち死にした者の報告を受けていた信長は、あれこれ指示を出した
 後、涙を流した。

 翌日は、寺本城のふもとを焼き討ちし、そのまま那古野に帰陣した。

 「こたびは援軍、かたじけのうございます」

 「村木砦攻略、祝着至極でございます」

 「山城殿にはよしなにお伝えください」

 信長自ら安藤伊賀守に礼を言い、伊賀守は美濃に帰陣した。

 「して、婿殿はどうであった?」

 「礼にかなったあいさつ、嵐を侵しての渡海、村木砦の攻め方など、ひとかど
  の人物かと」

 「…そうか、恐るべき男だな。隣にイヤなやつがいるものだな」

 <参考文献>
 ニュートンプレス:信長公記(太田牛一:原著 榊原潤:訳)
 角川ソフィア文庫:信長公記(奥野高広、岩沢愿彦 校注)
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 【キリのコメント10】 

 *このページは信長公記との違いや、さらに詳細な説明が書かれています。
  お時間に余裕がございましたら、ご覧ください。

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 【新規登場武将】

 安藤伊賀守(守就):斎藤道三の家臣。氏家、稲葉と供に美濃の三人衆と呼ばれ、
          道三死後、義竜、竜興に仕えるも、竜興のときに、信長に
          寝返り、稲葉山落城のきっかけを作る。その後、信長に仕
          えるも、武田氏との内通の疑いをかけられ、1580年追放。
          本能寺の変で信長が横死すると、北方城を奪うも、稲葉一
          鉄により滅ぼされた。

 水野信元:後の徳川家康の母、於大の兄。最初今川方だったが、織田氏と結び、
      そのために、今川方だった松平広忠(家康の父)は、その妻、於大
      と離縁してしまう。その後、信長方の武将と活躍し、三方が原の合
      戦の際にも、家康の援軍として出陣。しかし、長篠の合戦後、武田
      勝頼との内通の疑いをかけられ、信長に自刃を命じられる。

 +++++++++++++(編集後記)++++++++++++++++
 皆さん、こんにちは。
 キリです。

 やっぱり戦闘シーンはいいですね。
 血沸き肉踊る合戦は、戦国時代そのものです。

 まだまだ私の文章力が未熟なので、信長のすごさをうまく表現できていないの
 が残念です。

 それにしても、信長公記を読んで思ったことは、かなり具体的に信長のことを
 描いているなぁと言う思いです。

 今回の合戦では、信長のすごさを具体的に見ることができます。
 強さには理由があるのだなぁと思うばかりです。

 信長のリーダー学なんて本があると思いますが、この信長公記をじっくり読み 
 解くだけで、リーダーとは何かが分かる気がします。

 これからも信長を通じて、リーダーとは何か、大将の心構えなども見ていきた
 いと思います。

 それでは〜

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