第32話 十四条合戦

 翌永禄四年五月。

 信長は、木曽川、飛騨川の大河を渡り、西美濃に侵入。

 「いたるところに放火しろ! 墨俣に丈夫な砦を築け!」

 墨俣に城ができた後、信長はそこに在城した。

 五月二十三日。

 「お館様! 美濃勢が井口城(稲葉山城)から総勢を繰り出し、十四条という
  村に兵をそろえているとのことでございます!」

 「よし、ただちに兵を向かわせろ!」

 「かしこまりました」

 こうして、信長も墨俣からかけつけ、足軽同士の争いになった。

 「申し上げます! 瑞雲庵様の弟君、討ち死に!」

 「なんだと。…仕方ない、一旦兵を引け!」

 「はっ!」

 この勢いに乗じて、敵は北軽海まで進出し、西向きに備えを立てた。

 「ふむ、そう布陣したか」

 馬を乗り回しながら、敵兵の布陣を見た信長。

 「兵を西軽海村へ移し、古宮の前に東向きにせよ」

 こうして、美濃勢と向かい合って布陣した。

 「申し上げます! 敵方の真木村牛介が攻めて参りました!」

 「すぐに追い返せ!」

 「お館様! われらにお任せあれ!」

 「うむ、頼んだぞ」

 勢いよく飛び出したのは、信長の乳兄弟である池田勝三郎と、佐々内蔵助。
 両人は美濃の稲葉又右衛門を討ち取った。

 そのまま夜戦になり、つき負けて逃げるものあり、一方つき立ててかかるもの
 ありという状況が続き、ついに、美濃勢は夜の間に、後方へ退却してしまった。

 信長は夜が明けるまで在陣し、二十四日の朝には墨俣の城へ戻り、やがて墨俣
 も引き払った。

 六月下旬には、お久地(愛知県丹羽郡小口)へ出兵。
 
 「攻めかかれ!」

 「うぉぉぉぉ!」

 信長の号令のもと、お小姓衆が先駆け、城壁を打ち破って押し入り、数時間に
 わたり戦った。

 「お館様! 城壁を打ち破りました!」

 「ご苦労!」

 「お館様、負傷者が続出しています」

 「…そうか。すぐに手当てをせい」

 「お館様! 岩室長門守、討ち死に!」

 「なんだと、長門守が! なぜだ!」

 「こめかみを突かれ絶命いたしました。見事な最期でございました」

 「…惜しい男をなくしたな」

 この岩室長門守は誰知らぬ有能な人物で、信長が惜しむことひとかたではなか
 った。

 <参考文献>
 ニュートンプレス:信長公記(太田牛一:原著 榊原潤:訳)
 角川ソフィア文庫:信長公記(奥野高広、岩沢愿彦 校注)

 +++++++++++++(編集後記)++++++++++++++++
 皆さん、こんにちは。
 キリです。

 森部合戦に勝った信長は、執拗に美濃攻略を続けます。
 永禄4年5月11日には、信長を苦しめていた斎藤義竜が急死したようです。
 
 今回の前半に書いた5月の墨俣攻防戦は、義竜死去にともなう混乱のさなかに
 行われたようです。

 徐々に美濃の地を侵食していく信長。

 今回も自ら先頭にたって敵陣を偵察しています。
 この時期の信長は、まだ司令官というより、指揮官としての描かれ方をしてい
 ます。

 まだ、戦略レベルで兵を動かすのではなく、戦術として部隊を指揮しているイ
 メージですね。

 規模もまだ小さいので、仕方ないのでしょうが。

 ところで、最後に戦死してしまう岩室長門守ですが、これほど信長がなげくに
 は訳がございます。

 将来を嘱望されていたこの人物。
 桶狭間の際に、信長と一緒に馬に乗って熱田まで駆け抜けた小姓6騎の一人で
 す。

 この時期はまだ、前田利家や秀吉(まだ信長公記には出てきていませんが)よ
 りも彼らの方が、信長の信頼も厚かったのでしょうね。

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