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 戦国の風雲児〜織田信長一代記〜 「第5話 父、信秀の死」
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 天文18年(1549)正月17日のできごと。

 「殿! 犬山より敵兵がやってまいりましたっ!」

 「何、すぐに兵を集めよ!」

 「ははっ!」

 古渡の城から末盛の城にうつったばかりの信秀はすぐに兵をまとめて、犬山勢
 を撃破した。
 
 「殿、敵兵が逃げ帰っておりまするぞ」

 「うむ、たいしたことがなかったな。そうだ、孫三郎、そちに守山の城を任せ
  たぞ」

 「ありがとうございます。立派に勤めに励みたいと思います」

 ……………………………

 犬山勢を無事、撃退した後、信秀は疫病にかかってしまった。
 さまざなな祈祷や治療にもかからず、天文21年3月3日、42歳の生涯を閉じ
 た。
 法名は桃厳で、万松寺に葬った。

 「父の葬儀だ、盛大にするぞ」

 「はっ、さっそく手配いたしておりまする。国中の僧はもとより、関東に上り
  下りする会下僧(一寺を持たず修行する僧)も加えて、その数は300名にも
  及びます。」

 ……………………………………

 葬式当日、三郎信長には、林、平手、内藤、青山らの家老衆がつき従い、弟の
 勘十郎(信行)には柴田権六(勝家)、佐久間大学(盛重)、佐久間次右衛門(信
 盛)、長谷川、山田などが付き従う。

 「ご焼香をお願いします」

 そう言われて、焼香に立ったときの信長の服装は、長柄の太刀、脇差はわら縄
 で巻き、髪はちゃんまげにし、はかまも身につけていなかった。

 「あのうつけがこのような場所にあのような格好で…」

 「しっ、声が大きい。聞こえるぞ」

 そのような家臣たちの声など耳に入らない様子で、仏前に立つ信長。

 そのとき、

 カッ!

 

 (な、なんと!!)

 …静まり返る一同。

 信長は抹香をつかんで、仏前に投げかけて、そのまま帰ってしまった!

 あまりの衝撃的な出来事に、一同圧倒されて声を失う。
 
 しばしの静寂のあと、弟、勘十郎が焼香に立った。
 彼の服装は、きちんと肩衣・はかまを身につけ、礼にかなった作法で焼香を終 
 えた。

 ……………………………

 焼香を終えた後、家臣たちはさきほどの出来事をうわさしあった。

 「勘十郎様の礼にかなった作法に比べて、あの大うつけの態度は何だ! 全く
  けしからん。あれでは織田家の跡を任せるわけにはいかんと思うが…」

 「全くだ。織田家の跡継ぎは勘十郎様で決まりだな。」

 「信長の大うつけぶりにはあきれて言葉もでないな」

 「そうではございませんぞ。信長公こそ、国持ち大名になる方よ。あなた方に
  は分からぬようだが…」

 「何? 何をたわけたことを申すか!」

 皆が信長に対する悪口を言っているときに、ただ一人、筑紫から来た客僧が信
 長のことをほめたという。

 ……………………………
 
 その後、父、信秀のいた末盛の城は弟、勘十郎に任せ、柴田権六、佐久間次右
 衛門ほか有力な人を添えて置いた。

 ……………………………

 「長政、いい馬を持っているな。どうだ、わしにこの馬をくれんか。」
 
 「殿、私は馬を手放さない武士でございますので、どうぞ、お許しください」

 「…そうか」

 平手政秀の息子、長政はすぐれた駿馬を持っており、そのうわさを聞いた信長
 に所望されたのに、あっさり断ってしまった。
 信長はこれを深く恨んで、たびたびこのことを思い出し、不快になったという。
 しだいに主従関係も疎遠になったともいう。

 ………………………………

 父の葬式後に、三郎信長は、「上総介信長」と名乗るようになった。
 
 そして、それと同じくらいのときに、

 「信長様はいつまでたっても真面目になられない。今まで守り立ててまいった
  が、その甲斐もなし。これ以上生きながらえていても仕方ない。」

 そういって、信長の家老、平手政秀は腹を切って自害してしまった。

 <参考文献>
 ニュートンプレス:信長公記(太田牛一:原著 榊原潤:訳) 
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 【キリのコメント5】 

 *このページは信長公記との違いや、さらに詳細な説明が書かれています。
  お時間に余裕がございましたら、ご覧ください。

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 【信長の服装(葬式のとき)】

 焼香に立ったときの信長の服装は、長柄の太刀、脇差はわら縄で巻き、髪はち
 ゃんまげにし、はかまも身につけていなかった。

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 【新規登場武将】
 
 織田勘十郎信行:信長の弟。信長に対して、礼儀正しく、信長に代わって織田
         家の当主を狙い、2度謀反を起こすもいずれも失敗。最後は
         信長の命で殺害される。

 柴田権六勝家:最初、信長の弟、勘十郎信行付の家老になる。その後、信行と
        ともに一度は信長に反旗を翻すも、信行が二度目の謀反を起こ
        す際には信長にその旨を密告し、忠誠を誓う。その後は、織田
        家の筆頭家老として、北陸地方を任され、上杉家と交戦する。
        本能寺の変後は、秀吉に賤ケ岳の合戦で破れ、北の庄城で、信
        長の妹お市とともに自害する。

 佐久間信盛:最初、信長の弟、勘十郎信行付の家老になるが、その後は信長の
       家臣として、活躍。信長公記では柴田、丹羽よりも前に表記され
       ることが多く、信長の信頼も勝ち得ていたと見られるが、本願寺
       との合戦の不手際から、信長から散々に文句を言われ、高野山に
       追放になり、最後はそれも許されず、紀伊熊野の奥に逐電した。

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 【フロイスから見た信長その2】
 
 「彼はわずかしか、またはほとんど家臣の忠言に従わない。酒を飲まず、食を
  節し、人の取り扱いにはきわめて率直で、自らの見解には尊大だった。人々
  は彼に絶対君主に対するように接した。」

 参考文献:「完訳フロイス日本史2 ルイス・フロイス 松田毅一・川崎桃太訳」 
      中公文庫

 +++++++++++++(編集後記)++++++++++++++++
 皆さん、こんにちは。
 キリです。
 
 今回から、フロイスから見た信長というコーナーを新設しました。
 宣教師から見た信長の率直な様子が描かれていてとても参考になります。
 本当かウソかの真偽が私にはできませんが、父親の葬儀の後日談なども載って
 おり、ちょっとビックリです。
 信長も最初は神仏を信じていたのですね。

 さて、前回、信長公の魅力にひかれていきそう…なんて、書きましたが、ルイ
 ス・フロイスの日本史を読んで、ちょびっと引いちゃいました。

 …あまりにも信長公のすごさ(恐ろしさ)を目の当たりにして。

 皆さん、信長が比叡山を焼きうちにしたのはご存知ですよね。
 私はこれくらいしか知らなかったのですが、フロイスの書いたところによると、

 ・山王(日枝神社)
 ・石山本願寺(一向宗の総本山)
 ・四天王寺(聖徳太子が建てた日本最古のお寺)
 ・上京の全市街(京都の上半分を全焼)
 ・住吉大社(古事記にも出てくる由緒ある神社)
 ・兵庫の市(寺社もろもろ全焼)
 ・書写山(西の比叡山といわれる兵庫県の由緒あるお寺)
 ・百済寺(天台別院と呼ばれたくらい由緒ある滋賀県のお寺)

 という日本を代表する有名な寺社仏閣を焼き払って灰燼に化してしまっていま
 す。

 小心者の私には絶対できないこの行動。
 改めて信長の恐ろしさを垣間見た思いです。

 でも、こういう戦国当時の資料を見るのは新たな信長像に接することができて
 楽しいですね。

 今度は、信長の実際の手紙などを研究したいですね。
 どなたか、いい資料をご存知の方がいらっしゃいましたら、教えてくださいま
 せ。

 それでは〜

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