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戦国の風雲児〜織田信長一代記〜 「第6話 斎藤道三との出会い」
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「お館様、美濃の山城道三から、お館様と対面したいという書状が届きました
が…」
「うむ、会うと伝えよ」
「そのようにあっさりお受けしてもよろしいので?」
「大方、この信長がたわけ者と言われているのを聞いて、興味を持ったのだろ
う。ふふふ、舅殿を驚かしてやろうぞ。して、場所はいずこだ」
「はっ、富田の正徳寺とのことです」
「よし、皆の者に用意をするように伝えるのだ」
「かしこまりました」
……………………………
「信長は来るでしょうか?」
「来るだろうな。あれだけ人々に大たわけと言われている奴だ。そういわれる
奴は大概いうほどたわけ者ではないだろうしな。」
「殿、使者が戻って参りました。信長は殿の申し出をためらうこともなく受け
たそうですぞ」
「そうか、それでは、奴がたわけものかどうか、真偽のほどをこの目で確かめ
てやろうぞ。では、ワシの指示通りに手配をしておくのだぞ。奴を笑ってや
ろうぞ」
「はっ、かしこまりました」
………………………………
ときは、天文21年(1552)4月下旬。
信秀の死去からわずか1ヶ月あまり。
富田という場所は、人家700軒もある富裕な村で、大阪の本願寺から代理住職
を入れ置き、美濃と尾張の守護から許し状をもらって、税の負担を免除されて
いるいわば、中立地帯である。
信長がたわけ者という評判通りの男ならば、驚かせて笑ってやろうと、道三は
古老の者、七、八百人に折り目高な肩衣、はかまなど、品のいい衣装を着させ
て、正徳寺の御堂の縁に並んで座らせ、その前を信長に通らせようとした。
「さて、ここから奴の驚く顔を見てやるか」
そういって、道三自身は、少し離れた町外れの小さな家に忍んで、信長がやっ
てくるのをのぞき見ようとした。
「そろそろ信長がやってくるとのことです!」
「そうか、おっ、あれが信長か。…ややっ! なんだあいつの格好はっ!?」
見ると、髪はちゃせんまげで、萌黄(もえぎ)色の平打ちひもでちゃせんのも
とどりを巻き、湯かたびらの袖をはずし、のし付の太刀、脇差を二つとも長い
柄にわら縄を巻き、太い麻縄を腕輪にして、腰のまわりには猿使いのように、
火打袋、ひょうたん七つ、八つをつけて、虎革、豹革を四色に染め分けた半は
かまを着ていた。
「ううむ、あ奴はうわさ通りのただのたわけ者なのだろうか…。分からなくな
ったな」
「信長はあの格好で殿にお会いするするりなのでしょうか? なんとも無礼な
奴でございます」
「む、信長の後に続くあの者たちは、なんと精悍な若者なんだ。しかも、あの
槍の長さは三間半もあろうか。美濃の槍よりも半間以上長いではないか。槍
隊500に続いて、弓・鉄砲の者が500もいるぞ」
驚きのあまり目を見開く道三。
すぐさま正徳寺に入っていく、信長の様子を探るようにそばの家臣に命じた。
……………………………
「と、殿!」
「どうした!」
「や、やはり、殿の申すとおり、信長のあのたわけぶりは演技でありました。
信長はたわけ者ではござりませんぞ!」
「何を見てきたのか、残らず話すのだ」
「はい、正徳寺に入った信長は、びょうぶをめぐらしたかと思うと、髪を折り
まげにし、褐色の長はかまをつけられ、小刀をさされ、あっという間にりり
しい姿になりました」
「そうか、やはり普段のたわけぶりはわざとであったか。恐ろしい奴が現れた
ものだ」
…………………………
身支度を終えた信長は、御堂の方へするすると進んで、縁に上がった。
「はやくおいでください」
道三の家臣、春日丹後と堀田道空が信長を出迎え、信長をせかそうとするも、
道空の言葉など知らん顔で、諸侍が並び座っている前をするすると通り、縁の
柱にもたれかかった。
バサッ
しばらくして、びょうぶを押しのけて道三が姿を現した。
………
道三が目の前に現れてもなおも知らん顔をする信長。
「こちらが山城殿でござる」
たまりかねた道空が近づいて信長に話しかける。
「であるか」
そういってやっと敷居から中に入って、道三にあいさつをして、そのまま座敷
に座った。
「どうぞ」
道空が湯漬けを差し出す。
たがいに盃を交わし、滞りなく対面の儀が終わった。
………………………………
「信長との対面中の殿のお顔を見たか?」
「あぁ、付子(ふし)をかんだようなにがにがしいお顔だったな」
「その後も、対面後に信長を20町ばかり見送った後、我々の槍よりも尾張衆
の槍のほうが長いのをご覧になって、おもしろくないご様子だったな」
「う〜む、何がご不満だったのだろうか…」
………………………………
稲葉山城に戻る途中のあかなべというところでの出来事。
「どう見ても上総介はたわけでございますな」
「されば無念なることよ。この山城の子たちが、たわけが門外に馬をつなぐこ
とは間違いないだろう」
この後、道三の前で信長のことを「たわけ」と言うものはいなくなった。
<参考文献>
ニュートンプレス:信長公記(太田牛一:原著 榊原潤:訳)
角川ソフィア文庫:信長公記(奥野高広、岩沢愿彦 校注)
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*このページは信長公記との違いや、さらに詳細な説明が書かれています。
お時間に余裕がございましたら、ご覧ください。
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【信長の服装】(正徳寺にむかう最中)
髪はちゃせんまげで、萌黄(もえぎ)色の平打ちひもでちゃせんのもとどりを
巻き、湯かたびらの袖をはずし、のし付の太刀、脇差を二つとも長い柄にわら
縄を巻き、太い麻縄を腕輪にして、腰のまわりには猿使いのように、火打袋、
ひょうたん七つ、八つをつけて、虎革、豹革を四色に染め分けた半はかまを着
ていた。
(正徳寺に到着後)
髪を折りまげにし、褐色の長はかまをつけられ、小刀をさされ、あっという間
にりりしい姿になった
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【宣教師から見た信長その3】
「信長は、戦運が己れに背いても心気広闊、忍耐強く、よき理性と明晰な判断
力を有し、神および仏の礼拝を軽蔑し、占いや迷信的慣習を信じなかった。
形だけは当初、法華宗に属していたような態度を示したが、顕位についてか
らは尊大にすべての偶像を見下げ、若干の点、禅宗の見解に従い、霊魂の不
滅、来世の賞罰などはないとみなした」
参考文献:「完訳フロイス日本史2 ルイス・フロイス 松田毅一・川崎桃太訳」
中公文庫
+++++++++++++(編集後記)++++++++++++++++
皆さん、こんにちは。
キリです。
以前、購読してくださっている方から、尾張の位置関係が分かりづらいという
お便りをいただきました。
ということで、参考文献の一つ、ニュートンプレス社の「信長公記(上)」から
地図をスキャンしてアップしました。
「尾張国の地図」

これで、那古野や清洲、稲葉山、今回の「富田」の場所も一目瞭然です。
やっぱり地図はビジュアルでわかっていいですね。
皆さんのご理解のお役にたてばと思います。
それでは〜