皆さん、こんにちは。
霧隠です。
先日念願だった太田金山城に行ってこれたので、ご報告したいと
思います。
太田金山城。
関東七名城の一つ。
山城としてもすごいらしい・・・
という情報しかない状態で行ったのですが、要所要所の案内板が非常
に丁寧で初めての訪城にもかかわらず存分に楽しむことができました。
太田市がこのお城にかける意気込みを感じました。
さて、当日は友人の車にてふもとの無料駐車場で降ろしてもらい、そ
のままてくてくとよく整備されたハイキングコースを登ります。
フゥフゥ。
ハァハァ。
なかなかの急斜面です。
いかに山城が大好きでもこの最初の5分間はちょびっときついです。
でも、この5分間を乗り越えると、体のエンジンがかかってくるのか、
次第に息も苦しくなくなってきます。
いい汗もかけます。
なんといっても新緑がまぶしく、鳥のさえずりも美しく、見上げれば
青空。空気もうまい。
10分ほど登ると、視界が開けてきて、眼下に市街地が見えてきます。
ぱっと目に飛び込んでくる街並み。
この瞬間が山城を登っていて最初に感動する場面です。
そして、さらに登るとだんだん見える市街地が広くなり、その高さも
高くなっているのを感じ取ることがわかります。
登りながらも街並みが楽しめる。
そんな山城もいいものです。
さて、20分ほどハイキングを楽しむと、「↑西城」という看板が目
に飛びこんできました。
西城?
確か太田金山城に登っているはずなのに!?
何の予備知識もないので、頼りになるのは、地元の方々が用意してく
ださるこの看板のみ。
もしかして古城?
もしくは、近くに違うお城がある??
事前に予習して万全を期して、攻めるお城めぐりもおもしろいですが、
こうして自分で空想しながらめぐるお城めぐりもおもしろい!
以前、楽しんだ肥後の国、原城での経験が思い出されます。
そのまま前に進むと、「西城筋違い門跡」という看板が。
よく見ると、確かに筋違いに土塁と空堀がくっきりと。
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土|空|土
塁|堀|塁
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土|空|土
塁|堀|塁
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こんな感じです。
遺構の状態はかなり良好です。
ここの看板にて、西城の正体が判明します。
西城とは、太田金山城の西の要で、本城を実城と呼び、この西にある砦
を西城と呼び、城代がいたそうで、その城代を「西殿」と呼んでいたそ
うです。
ちなみに車ではこの西城までこられます(無料)。
ここから本丸までは、徒歩で大体20分くらいです。
途中に、物見台や矢倉台、馬場道などがあります。
さらに、途中に詳細な「鳥瞰図」まであってビックリしました。
これによれば、太田金山城は「実城(みじょう)」を中心に西城、坂中
城、八王子城というよるに、4つの山が連携して防御性を高めた山城だ
そうです。
このような山城は、備中松山城、信州砥石城に見られます。
備中松山城は、前山城、小松山城、天神山城、大松山城の4つの山にそ
れぞれお城があります。
砥石城も米山城、砥石城、砥石本城、枡形城というように同じく4つの
山にお城があります。
意外とこのようなつくりの山城は全国にも多いのかもしれません。
1日で4つのお城が同時に楽しめるので、なんだか得した気分です。
この太田金山城には、有名な池があります。
何度かこのMLでも出ていますが、月の池。日の池。
これだけの池(井戸)が城内にあるのはすばらしいです。
一見の価値ありですね。
さらに、本丸からの見晴らしといったら!
360°とまではいいませんが、ほぼ180°は見渡せるこの風景。
関東平野が一望できるます。
石垣に 立ちて広がる 地平線
本当に見事な地平線が見えるんです。
これだけでもこのお城に来る価値大でしょう。
本丸には詳細なお城の説明もありました。
太田金山城。
太平記に出てくる、南朝方の名将、新田義貞公。
その子孫が代々城主として君臨したお城。
しかし、戦国時代になり下克上の風潮が強まる中、家臣の横瀬氏が城主
である新田氏を滅ぼし、城を奪ってしまったそうです。
その後、横瀬氏は由良氏と改姓し、上杉謙信公にも攻められたりしなが
らも長くこの地に君臨し、一時期は、新田郡だけでなく足利まで勢力を
広げ、戦国大名化したようです。
が、天正12年、後北条氏に攻められ半年あまりの篭城戦後に、開城し
て軍門に下ってしまいます。
その後、秀吉公の小田原攻めに関連し、太田金山城も廃城になってしま
います。
ここで疑問が一つ。
横瀬氏って誰?
新田源氏の血筋を奪うほどなのだから、それなりの人物なのか?
またもや謎がでてきました。
とりあえず、本丸近くの新田神社に行く前に・・・
ちょろっと脇道にそれると東北砦跡なる小道を発見。
ここにはしっかり竪堀があります。
しかも、ふもとまで降りれたりします。
降りると神明宮(?)という神社に出てきます。
ここには涌き水があり、地元の方がポリバケツに水を汲みにきていまし
た。
飲んでみるとおいしかったです。
思わずふもとまで降りてしまったので、来た道を登ると大体15分。
今度こそ新田神社に参りました。
新田神社。
ここは新田義貞公が祭神です。
太平記で活躍する義貞公も実際の活動機間は5年半あまり。
意外と短いそのお命は30才代なかばで福井で落されるようです。
ここの神社には詳細な「縄張り図」入り看板があります。
デジカメがあれば、ずっと携帯できるのに、ないので脳みそにインプッ
ト。
それによると、八王子城は3つあり、「大八王子城・中八王子城・小八王
子城」の3つの山のことを差すようです。
時間があったら行きたいなと思いました。
さらに大手道もしっかり書かれていました。
い、行きたい!!
ちなみに太田金山城のおおまかな縄張り図・・・
坂中城
実城
西城
大
手
道
大八王寺城
中八王子城
小八王子城
こんな感じです。
すべてのお城が一つの山の頂上にあります。
本丸(実城)からこの3つの八王子山が見下ろせます。
この縄張り図をしっかり頭に叩き込んで、いざ坂中城(北の砦)へ!
・・・その前に、神社の裏に回ってみましょう。
2つの見所に出会えます。
まず、一つは見事な石垣!
次に、馬屋跡です。
ここの石垣は現存の石垣で、石垣の少ない関東では珍しいなかなかの風格。
高さといい、しっかりとした積み方といいなかなかの代物です。
馬場は、案内板によると、城内の連絡用に重宝した馬は、音に敏感なので
城内だとおびえてしまうからこのような本丸からはなれた場所に厩を築い
たとありました。
なるほどです。
さて、新田神社の裏手から坂中城まで約10分。
遺構は・・・もごもご。
草木に生い茂っており、あんまりよく分かりませんでした。
でも、しっかりとした削平地になっており、なかなかの風情。
案内板によれば、城内にお客が来た際に、聞かれたくない話を家臣とする
際にここまで移って話したということです。
ここは北の要衝です。
もちろん、ここからもふもとまで降りれます。
ここも大体15分くらいでしょうか。
標高200m級の山城なので、これくらいの時間でしょう。
ここのふもとへの道は民家の裏庭に出てきます。
当然入り口には「↑太田金山城」なる看板は・・・ありません。
くもの巣も結構あったので、普段は誰もこないのでしょう。
それから本丸に戻って、いよいよ大手道探索スタート!
次回は大手道下山と3つの八王子城についてご報告したいと思います。
それでは〜