皆さん、こんにちは。
霧隠です。
関ヶ原 DE サイクリング
関ヶ原ほど、サイクリングに好都合な場所はございません。
まず、JR関ヶ原駅には詳細な関ヶ原の地図が無料でもらえます。
さらに、すぐ目の前にレンタサイクルがございます。
(4時間500円、4時間以上だと1000円)
お車でお出での場合は、関ヶ原歴史民俗資料館で車を駐車し、そこで自転車を借
りることができます(料金は同じです)。
さて、自転車に乗ってさっそうと関ヶ原を散策してみましょう!
今回は西軍をテーマに陣屋めぐりをしてみました。
訪ねた陣跡は・・・
松平忠吉陣跡・井伊直正陣跡・東首塚→西首塚→福島正則陣跡→松尾山(小早川
秀秋陣跡)→脇坂安治陣跡→自害峯→常盤御前の墓→大谷吉継の墓→大谷吉継陣
跡→平塚為広陣跡→田中吉政陣跡→徳川家康最後陣跡→笹尾山(石田三成陣跡)
→島津義弘陣跡→小西行長陣跡→宇喜多秀家陣跡→桃配山(徳川家康最初陣跡)
です。
朝の10時スタートで5時までじっくり関が原を堪能しました。
まずは、家康公の4男、松平忠吉公、井伊直政公の陣跡です。
こちらは資料館のすぐそばにあります。
忠吉公は2代将軍秀忠公とは同じ母を持つ一つ違いの兄弟で、終生仲がよかった
そうです。
関ヶ原当時の彼の年齢はわずか20才。
東海道侵攻の先鋒大将として功をあせったのか、先陣を仰せつかっていた福島隊
を出し抜いて宇喜多隊に突撃をしようとするところを福島隊の可児才蔵に静止さ
れます。
仕方無しに島津隊に突撃したそうです。
ちなみにですが、この福島隊の可児才蔵。
「笹才蔵」の異名を持つ勇猛果敢な武将です。
槍の名手で、宮本武蔵でも登場している宝蔵院胤栄に学んだつわものです。
彼は関ヶ原の合戦のとき、討ち取った武将の首を一々持ち運んだりせず、討ち取
った武将の口に笹の葉を噛ませ、自分が討ち取った証拠としたそうで、それ以後、
「笹才蔵」と恐れられたそうです。
・・・閑話休題・・・
この松平忠吉陣跡から福島正則陣跡まで自転車でこぎながらこのようなエピソー
ドを想像しながら見学するのも楽しいです。
さて、福島正則陣跡から一路、小早川秀秋公が布陣した松尾山にむかいます。
時間にして10分たらず。
松尾山のふもとに到着します。
そこの看板には徒歩にて40分と書かれています。
これは標準的な時間でしょう。
普通の人ならば30分。
足に自信がある人なら20分たらずで頂上に到着します。
今回はみんなとわいわい歓談しながら楽しく登城しました。
しかし、このハイキングコースは当然当時の道ではございません。
後で分かりますが、当時の道は、今はヤブの中です。
松尾山の頂上の見晴らしは・・・一見の価値ありです。
なぜ、小早川秀秋公が東軍西軍のどちらにつくか悩むのもよく分かります。
三成公が布陣した笹尾山はもちろん、家康公が布陣した桃配山も一目瞭然。
関ヶ原の全てが見渡せるのです。
9月15日。
当日の午前はモヤの中。
視界が不良のため、どちらが優勢かはっきりしない。
一般的には、午前中は陣地をしっかり作ってあった西軍の方が押し気味だったと
言われています。
モヤが晴れてくるに従い、やや西軍が押している様子が手に取るように見渡せま
す。
一旦は東軍に内応した秀秋公でなくても、思わず西軍につきたくなるのもよく分
かります。
ここで関ヶ原のおおまかな地図を書くとこうなります。

北国街道と中山道、伊勢街道が交差するまさに交通の要衝です。
古代では大海人皇子(後の天武天皇)と大友皇子(後の弘文天皇)が壬申の乱を
戦い、この地で大激戦を交わします。
ここで注目すべき点は、「笹尾山」と「桃配山」と「松尾山」と「南宮山」の4つ
の山。
それぞれ、
笹尾山=石田三成公
桃配山=徳川家康公
松尾山=小早川秀秋公
南宮山=毛利秀元公&吉川広家公
が布陣しておりました。
松尾山がいかに重要な位置にあるのかが分かります。
しかも、秀秋公がこの松尾山に布陣するのがおりしも、関ヶ原の合戦の前日、9
月14日。
ある意味、佐和山城へのルートを抑えられてしまいます。
(三成公の居城、佐和山城は左下の中山道を通っていきます)
一説によると秀秋公が予期せず松尾山に入ったことを恐れた西軍が急遽関ヶ原に
むかったとも言われています。
ちなみに、南宮山に布陣した毛利秀元公は、9月7日にすでに南宮山に来ており
ます。
それから関ヶ原の合戦までの7日間不気味な沈黙を守ります。
こちらも見方によると、大垣の背後に控え、毛利が東軍と手を結んでいたら挟み
撃ちにあってしまう恐れがあります。
ここでも討って出ないほうが有利と思われていた西軍が関ヶ原に出てしまった遠
因になったのかもしれません。
そもそも家康公が最初に布陣した桃配山は南宮山のちょうど真下。
やはり徳川と毛利で何か話しができていないとこのような大胆な布陣はできない
気がします。
背後を抑えられてしまうからです。
実際に関ヶ原に来るとこのようにいろいろな疑問が続々と脳裏を横切ります。
さて、松尾山。
もともと中世のお城として存在していたようで、遺構が結構残っています。
曲輪もしっかりあるので、一万五千の兵が山全体に布陣する事は可能かもしれま
せん。
今回のミニオフの目玉が、この松尾山から直接大谷陣屋に行けるかどうか確かめ
る! ということでした。
次回は、その山中ルートと大谷陣屋についてご報告いたします。
それでは〜