皆さん、こんにちは。
霧隠です。

ここで、関ヶ原の合戦をダイジェストで振り返ってみたいと思います。

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<1600年9月15日、美濃の国関ヶ原、天気:霧のち晴れ?>

8:00 「ババーン」
    一発の銃声が福島陣から宇喜多陣に響きます。
    これを合図に東軍、西軍入り混じって戦う関ヶ原の合戦が幕をあけます。

9:00  石田隊  VS 黒田・細川・加藤隊
    大谷隊  VS 藤堂・京極隊
    宇喜多隊 VS 福島隊
    で激戦開始。
    小西、島津隊は静観中。

11:00 家康公、陣を前線に移す
    三成公、総攻撃ののろしをあげる
    ・・・しかし、毛利、小早川ともに動かず

    家康公、小早川のいる松尾山に鉄砲を撃ちかける

    ついに、小早川軍、大谷隊に向かう!

13:00 小早川軍の裏切りで大谷隊壊滅
    小西隊壊走
    宇喜多隊壊走
    石田隊も壊走

    ・・・西軍の敗北決定的に

14:00 一人残った島津隊による敵中突破が行われる

ちなみに東軍、西軍の位置関係図です。


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午前中までは陣地をしっかり作ってあった西軍が押し気味だったと言われていま
す。
それが、運命の11時。
小早川軍が西軍の大谷隊に突入することで形勢は逆転します。

今回のミニオフの目的は、この小早川軍が大谷隊への向かった道を実際に歩いて
みよう! だったので、それを楽しみに下山する事に。

松尾山と大谷陣の位置関係を図に書くとこんな感じです。

松尾山山頂から大谷陣はちょうど真下になります。
一度松尾山を訪れたことのある方ならご存知だと思いますが、現在松尾山の登り
道はものすごく整備されていて、非常に登りやすいハイキングコースになってい
ます。

ハイキングコース・・・先日に観音寺城で実感しましたが、みょーに整備された
道は戦国当時の道でない可能性が高いようです。

この松尾山のハイキングコースも当時の大手道ではありません。

とにもかくにも、大谷陣を目指します。
ポイントは、山頂から降りる事5分くらいのところに、
「←山中へ」
という小さな看板と小さな道。

思わず見逃しそうになります。
見逃さないコツはずばり「勘」です。
怪しい道発見センサーを稼動させていれば見つかるはずです。
・・・なんて、いいかげんな←自己つっこみ

ともかくこの山中の道にレッツゴー!
前回はいきなりクモの巣の歓迎を受けて早々と撤退しましたが、今回は頼もしい
仲間が3人もいます。
クモの巣なんてなぎ払いつつ進軍を開始します。

5分ほど歩くと道が2つに分かれています。
まっすぐ行く道と右側に行く道と。

う〜ん、どっちだろう。

とりあえず、まっすぐ進む事に。
と、鉄塔がどーんと建っておりました。
そこのところは下草がかってありましたが、道は続いておりません。
前日のヤブ漕ぎしすぎて少しヤブに対して食傷気味だった某はあえてこのヤブを
かき分けて前に進む気力もなく、あっさり右の道に向かうことに。

でも、ぱっと見は道がなく、普通この鉄塔のための道だろうと思います。

しかし! すでにKさんがご報告されていますが、こいつが大谷陣へ直接降りる
道だと知ったときのショックといったら・・・

上記に書きました図をご覧いただければわかるように、まさに大谷陣へ一直線の
ルートはいろいろな遺構もあって楽しかったそうです。

某一行が行った道は、右に右に下りていく道で、ここがどうやら当時の大手道だ
ったのではと思われます。
途中、石垣があったりして、なかなかの雰囲気です。
時間にして30分くらいだったでしょうか。
細い道でしたが、歩きやすかったです。

そのまま降り続けると廃屋に遭遇します。
そのまま進むと、見覚えのある広い道にぶつかります。

ん? このよく整備された道は・・・

そう、最初の登り口そばの道です。
そこから自転車を置いた駐車場までわずか5分。

うん、これから松尾山を上るときはこの当時の大手道でもある細い道を登ろうと
心に誓いました。

でも、この道がどこにあるかは内緒・・・というより、説明しにくいです。
大体駐車場(車は4台くらい駐車できます)から歩く事5分。
おもむろに右側のヤブにつっこみます。

目印は川を左手に見て、さらに右手に廃屋があることです。
う〜ん、やっぱり説明が難しいです。

さて、それから自転車で脇坂安治陣跡に向かいます。
なかなかの広さの曲輪です。
小早川軍一万五千が寝返ったことによってふもとの脇坂、朽木、小川、赤座の4
隊4000の兵も大谷陣に向かいます。

今回は時間がないので、脇坂陣だけちょろっとみて大谷陣に向かいました。

その前に、せっかく関ヶ原に来たので、お墓参り・・・もとい、遺跡めぐり。

めぐった遺跡は、「自害峯」と「常盤御前の墓」です。
どちらも丁寧な看板があるので、大変分かりやすいです。
自害峯とは壬申の乱で大海人皇子に敗れた大友皇子が自害して、この峯に大海人
皇子が首実検をした後、首を埋めたと伝わっております。

近くの川の名は「黒血川」。
壬申の乱で敗れた大友軍の兵の血で真っ赤に染まったと伝わっております。
ここはそんな悲しい出来事があったゆえにおどろおどろしく、結構怖い場所です。
木々がうっそうとしており、それがまがまがしさをかきたてています。

次に訪ねたのが「常盤御前の墓」
常盤御前とはかの悲劇のヒーロー源義経公の母君です。
義経公を頼って関東にむかう際に、ここ関ヶ原で追いはぎにあい、命を失ったそ
うです。
現在、ともに亡くなった侍女の墓と一緒に地元の方に大切に祭られており、今も
花が絶えることがございません。

遺跡の見学後は、いよいよ大谷陣に向かいます。

次回は、義の人、大谷吉継公がおわした大谷陣についてご報告します。

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