皆さん、こんにちは。
霧隠です。
今回は関ヶ原の合戦の主人公の一人、大谷吉継公の陣屋についてです。
大谷吉継公は、敦賀5万石の大名として、徳川家康公の上杉征伐に同行しようと、
美濃垂井に7月11日に到着し、そこで三成公の挙兵を聞きます。
当然、反対するも三成公の決意の強さを目の当たりにし、同意し、一旦敦賀に戻
り、兵を募ります。
彼は中山道沿いの山中村へ9月2日に布陣します。
関ヶ原の合戦に先駆ける事、13日前。
(その際に、一緒に関ヶ原を目指した京極高次公が突然居城大津城にむかって東
軍に寝返ります。)
その間に彼がしていたことは、陣地の構築です。
吉継公が布陣した山中という場所は、中山道を抑える場所です。
さらに隣の宇喜多陣も築いていたようです。
あくまでも某の仮説ですが、大谷吉継公は、この天下分け目の合戦をただ、三成
公の友情だけで参加を決めたとは思えません。
彼は、彼なりの考えで、西軍が勝てると思ったから参加を決めたのではないかと
思います。
また、山中の陣は確かに松尾山の小早川陣の方向を向いていますが、それもはじ
めから小早川秀秋公が寝返ることを分かっていたといわれていますが、それもど
うかと疑問に思っています。
そもそも、秀秋公が松尾山に布陣したのは関ヶ原の合戦の前日、9月14日です。
つまり、吉継公はその10日も前に、ここ山中に陣を築いているのです。
あまり関ヶ原のことは詳しくないのですが、そもそも秀秋公はなぜ松尾山に布陣
したのか?
一説によると、別の人間を入れようとしたのに、勝手に入ってしまったとのこと。
秀秋公の関ヶ原までの行軍ルートなども調べたらもっと詳しく分かるのでしょう
が・・・
(どうやら伏見城攻め以降は積極的な行動をしていないようですね)
勝手な想像ですが、大谷公と一緒に関ヶ原入りするはずだった、京極高次公が予
想を反して、大津城に入って、西軍に叛旗を翻し、東軍についてしまい、そのた
め毛利元康を大将とする立花宗茂・筑紫広門らの1万5千の兵が9月8日に大津
城を攻撃しますが、もし、この1万5千が松尾山に布陣していたら・・・
歴史に"もしも"は禁物ですが、そう思うと京極高次公の果たした役割はまさに
東軍、西軍の命運を分けた行動だった気がします。
小早川秀秋公の寝返りがなければ、関ヶ原の合戦もわずか一日で終わらず、戦線
は膠着し、大阪へのルートをしっかり大谷公が抑えている限り、家康公もそうや
すやすは進軍できず、その間に大阪も秀頼公の出馬を待つと・・・
がっぷり4つに組み合って、長期戦になれば、豊臣軍有利と思ったのかもしれま
せん。
それはさておき、大谷陣にむかいます。
図に書くとこんな感じです。

自転車だと手押ししないといけないので、ちょっときついかもです。
手押し時間は大体10分くらいです。
途中、木で作られた階段があるのがなかなかの曲者。
自転車には障害でしかないこの木の階段。
女性の方はちょっとつらいかもしれません。
(歩いて行く分には全然問題ございません)
まずは、大谷公のお墓参り。
傍らに湯浅五助の墓もあります。
それから陣屋にむかいます。
お墓からは約5分。
広さはそんなにありません。
大谷軍は4000にも満たない規模ですから、それほど広くなくてもいいのかもし
れません。
残念ながら木々でまわりがおおわれ、全然景色は見えません。
木々がなければ、さぞかし目の前にそびえる松尾山が見渡せるのに。
さて、関ヶ原合戦当時、まず大谷隊と戦うのは藤堂・京極隊です。
大谷隊4000に対して、藤堂・京極隊は5500。
兵力は五分五分。
午前10時の段階では勝敗はどちらか分からない状態でした。
ところが、午前11時に小早川軍が西軍についてしまいます。
松尾山を降りてきた小早川軍は大谷隊の側面を攻め立てます。
一説によると、この小早川の猛攻を3度に渡って押し戻したといわれています。
4000 対 15000
藤堂・京極隊とすでに戦っている最中だったので、大谷隊はもう少し兵数は少な
かったでしょう。
5倍以上の兵を押し戻すというのですから、大谷隊の怒りはすごかったのでしょ
う。
と、同時に小早川隊も主君の命令とはいえ、同じ西軍だった大谷隊を攻めること
に気が引けていたのかもしれません。
それにしても3度も押し戻すくらいですから、まだまだ勢力は拮抗したことにな
ります。
時間ははっきりしませんが、小早川隊が攻めかかってからしばらくたって、赤座・
小川・朽木・脇坂隊4000が大谷隊の背後を襲います。
この寝返りが大谷隊の命運を決してしまいます。
小早川隊の寝返り。
続く赤座・小川・朽木・脇坂隊の追随。
絶望というより、怒髪天を衝く怒りを某でなくても感じると思います。
4000 対 24000
前後側面から攻めたてられた大谷隊は壊滅します。
図に書くとその絶望感というか、怒りも高まります。
小早川隊(15000)
藤堂・京極隊 大谷隊 赤座・小川・朽木・脇坂隊
(5500) (4000) (4000)
どうにもならないのは一目瞭然。
どうしてこんなことになったのか。
無念の自刃だったと思います。
だからと言うわけではありませんが、大谷陣を訪れるとちょっとおっかない気分
になるのかもしれません。
大谷陣でしんみりした後、関ヶ原の主人公、石田三成公の陣に向かいました。
次回は、石田三成公について、熱く語りたいと思います。
それでは〜
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【参考HP】
●「人間模様 関ヶ原〜大谷吉継自刃〜」
●「ノイエ・ラント〜大谷吉継〜」
●「関ヶ原町ホームページ〜関ヶ原合戦関連年表〜」
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