皆さん、こんにちは。
 霧隠です。

 さて、馬場信房の陣地、丸山からまっすぐ西に向かいます。
 橋を渡って、織田軍が布陣した弾上山も越えると「石座神社」が右手に見えま
 す。

 目の前には道路が。

 さて、茶臼山は一体どれだろう〜
 あれではないだろうなぁ(すっごい高い山、後で鳥居強右衛門が長篠城から脱
 出した際に、のろしを上げたと言われているカンポウ山だと判明)。

 それともあれかなぁ(小高い丘のような山)。

 う〜む、よく分からない・・・

 時間はちょうど2時40分。
 このままあてもなく、「勘」だけで茶臼山を探すよりも残りの織田軍の布陣した
 弾上山と徳川家康陣をじっくり見たほうがいいのか。

 そんなときに目の前に人が歩いてきました。
 おぉ、地元の方のようです。
 さっそく尋ねてみることに。

 「ええと、茶臼山はどこですか?」
 「茶臼山? それは大分南側だけど」
 (ん? 南? 確かここらへん、なんとなく真西くらいのはずだけど・・・)
 「ええと、織田信長が布陣した茶臼山ですけど」
 「えっ、駅の茶臼山ではないの。だったらわからないや」
 「・・・」

 そう、設楽原のある駅は三河東郷駅。
 その隣の駅が茶臼山駅でした。

 う〜ん、地元の方も分からないのじゃ、あきらめようか・・・

 と、とぼとぼと織田軍が布陣した弾上山に向かいます。
 こちらは、武田軍の布陣した陣地と違い、どの武将がどの辺にいたかが全然分
 からないのか、地元の方が興味がないのか、まったく看板も何にもございませ
 ん。

 一応、織田軍3万のうち、どんな武将が来ていたかというと・・・
 安藤伊賀守範俊、池田勝三郎信輝、稲葉伊予守長通入道一鉄、氏家内膳正行広、
 蒲生忠三郎氏郷、河尻与兵衛秀隆、佐久間右衛門尉信盛、佐々内蔵助成政、柴
 田修理亮勝家、滝川左近将監一益、長岡与一郎忠興(後の細川)、丹羽五郎左衛
 門長秀、羽柴藤吉郎秀吉、不破河内守光治、前田又左衛門利家、村井又兵衛長
 頼、森勝蔵長可そうそうたる顔ぶれです(もっといますが、有名な武将のみ書
 きました)。

 当然、織田信忠、信雄も来ています。

 しかし、織田家臣団でその陣地がはっきり分かっているのは羽柴藤吉郎秀吉く
 らいのようです(本当は分かっているのかもしれませんが、現地にはそれがわ
 かる看板は秀吉のしかありませんでした)。

 なので、弾上山の上を歩いていてもそんなに楽しくないです。
 やっぱり、ここにかめ割り柴田が、ここに又左衛門利家が、佐々内蔵助成政が
 いたんだなぁとはっきり分かったほうがいいです。

 柳田前激戦地のそばには馬防柵が再現されています。
 柵が50mほどできています。
 さらに、堀も再現されています。
 図に書くとこんな感じ。

 前から見ると・・・

 こんな感じです。

 馬防柵には織田軍の兵がすぐに柵の外へ出られるように出入り口の門がありま
 した。

 でも、いろいろな資料からこの馬防柵は3段構えだったといわれています。
 資料館に展示されていた徳川軍の手記では、武田軍の猛攻によって柵の第三段 
 まで突破され、20名の武士が本陣そばまで襲いかかったと書かれています。

 となると、馬防柵もこんな感じだったのでは。

 

 ・・・あくまでも某の想像です。

 さて、馬防柵に関しては後ほど考察するとして、この馬防柵を見て、すっかり
 設楽原の雰囲気が出てきたので、ここまで来たらやっぱり信長の茶臼山にも行
 きたい! と思うようになり、時間は3時半を廻っていましたが、もう1度先
 ほどの「石座神社」に向かいます。

 途中、トラックを掃除中のおじさんに出会いました。
 そして、もう1度同じ内容を聞いてみました。
 ・・・織田信長の布陣した茶臼山はどこですかと(ドキドキしながら)。

 「あぁ、茶臼山はあの山だよ」
 「!!(よかったぁ)」

 見ると、石座神社のちょうど真西に位置する山でした。
 やっぱりさっきの勘は合っていたとおじさんにお礼を言って喜び勇んで茶臼山
 に向かいます。

 川の向こう側にあるこの茶臼山ですが、目印は白い家(というより倉庫っぽい)。
 段々畑のような坂道を登るか、迂回して、このお家のそばまできます。
 そのままお庭をつっきっても行けますが、それではさすがに失礼なので、ちょ
 っと畑を迂回して茶臼山に向かいます。

 山に向かう道はしっかりあります。
 登ることわずか10分で頂上に到着します。
 山というよりやはり丘といったほうがいいでしょう。

 頂上部分は20m四方の広さがあり、神社があります。
 そこには説明板がしっかりあります!
 う〜ん、ここに信長公がおわしたのかぁと感慨もひとしお・・・

 ・・・ん? なんか落ち着かないなぁ。

 なんだかそわそわしてしまいます。

 そう、ここに信長公がいたかと思うだけで、畏怖心というか、ドキドキ感とい
 うか、なんだか不思議な感じです。
 さすが、信長公、死して400年以上もたつのに、この圧倒的な存在感。
 (・・・ただ、夕刻近くになってちょっと臆病になっただけかもしれませんが)

 ここ茶臼山には信長公には珍しい歌が残されています。
 それは・・・

 きつねなく 声もうれしくきこゆなり
         松風清き  茶臼山かね

 というものです。

 信長公の歌は少ないそうですが、某は初めて見ました。
 ・・・でも、これって本物かなぁ。

 それはさておき、この歌から信長公の絶対の自信を読み取れます。
 だって、この茶臼山からは家臣団が布陣した弾上山は見えるとしても、武田軍 
 が布陣した丸山、天王山などは全然見えないのですから。

 よほどの自信があったのでしょうか。
 余裕の後詰です。
 とはいっても、この茶臼山から家臣団の弾上山までは馬を飛ばせば10分もか
 からないので、戦況は刻一刻と信長のもとに届いたことでしょうけども。

 そろそろ日も暮れかけてきたので、ここまで来たら羽柴秀吉の陣屋も行ってみ
 よう! とてきとーに東に向かいます。
 一応隣の山になるので、このまま東に尾根伝いでいけるかもと進むこと5分。
 なんだか削平された場所にでてきました。

 ん? ここかなぁ。
 あまりにも近すぎるけども・・・
 でも、そろそろ日が暮れそうだし、とりあえず、ここということで帰ろうか・・・

 ガサッ
 ゴソッ

 え? イノシシ?

 ビクビクしながら音のした方を見ると・・・

 畑仕事をしているおじいさんでした。

 もしかしたら・・・と祈る想いで、おじいさんのそばまで行き、秀吉の陣屋を
 尋ねました。
 そしたら、さすがおじいさん、ご存知でした。
 お仕事の手を休めてその山を指差してくださり、具体的な行き方まで詳細に教 
 えてくださいました。

 尾根伝いでもいけなくはないけど、道がなくなっている可能性があります。
 ここは無難に下に下りて、県道の向こう側(東方向)に行き、しばし歩くとで
 っかいトラックがあるので、そこの山道を登れば・・・と教えていただきまし
 た。

 山を降りて、県道を渡ると・・・ありました。
 でっかいトラックが。
 しかも、しっかり羽柴秀吉の陣屋の案内板があります。
 ここだ!
 確信を持って登っていきます。

 民家があります。
 さらに進むと、秀吉陣屋に到着します。
 ふもとの看板から大体10分くらいです。

 ・・・でも、陣屋はちっちゃいです。
 石碑もちっちゃいです。

 でも、ここからは弾上山がよく見えます。
 なぜ、織田家臣団で秀吉だけがこんな高見の見物ができる場所に布陣を許され 
 たのでしょうか。
 なんか、いかにも信長公の側近なんだかぁという感じになります。

 さて、時刻はすでに4時半。
 さすがに日が暮れてきたので、徳川家康陣を見ながら駅に向かいました。
 大体、この茶臼山から三河東郷駅まで歩いて30分でした。
 距離にして3キロくらいでしょうか。
 この茶臼山周辺には駐車場もなく、路駐もできないでしょうから、近くの石座
 神社に車を置くか、ちょっと遠くなりますが、資料館に置いて、大体徒歩20
 分くらいになるでしょうか。

 *後で地元の方に教えていただきましたが、

 さて、徳川家康陣は乗久根にあります。
 ここにも神社があります。
 でも、家康公はここよりももっと東よりの最前線の物見台にいて、陣頭指揮を
 とっていたようです。
 まさに、命がけの戦いを演じていました。

 8000の徳川軍の総司令官として前線に立つ。
 家康公の男らしさを感じます。

 実際に、物見台にたって見ます。
 すると、武田軍(ちょうど山縣軍のいる方向です)との距離はわずか200mし
 かありません。
 たとえ、三段構えの馬防柵があっても辺りは修羅場と化していたでしょう。
 そんな中、前線を指揮できる家康公はさすがです。

 ちなみに、嫡男の信康公はもう少し後方の陣地にいます。
 自分の命を捨てても嫡男を生かすことで、徳川家の家名を残そうとしたのでし
 ょうか。

 徳川家の兵力は8000。
 武田家の兵力は15000。

 どうしてもまだ単独で武田家に勝てない徳川氏としては織田氏の援軍が必要だ
 ったのでしょう。
 援軍を頼んだからには自ら血を流さなければならない。
 それこそ必死の思いで戦ったことでしょう。

 物見台に立ちながらいろいろなことを考えました。

 さて、完全に日が暮れたので、駅に向かいました。
 朝の9時から夕方の5時までのたっぷり8時間。
 思う存分に楽しめました。

 次回は、実際に設楽原を歩いて考えた、設楽原で何が起きたのか、なぜ武田軍
 が負けたのか? について、次回以降考察してみようと思います。

 それでは〜
 
 今回の設楽が原の写真です。

 その3へ
 


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