皆さん、こんにちは。
霧隠です。

備中兵乱いよいよその魔の手は常山城までのびてきます。

備中兵乱最後の戦いは、ここ児島の常山城が舞台になります。
攻め入る軍は、毛利軍6300に対して、迎え撃つ常山城城兵は200余。
その兵力差は一目瞭然。

天正3年(1575年)6月4日、毛利方の大将、浦兵部尉宗勝は常山城を完全に
包囲します。

では、なぜ、常山城城主、上野隆徳は主君が討たれた後もかたくなに降伏を拒み、
城を枕に一族郎党200余人、全員討ち死にしてしまったのか?

それには、いくつかの理由があると思います。
以下、その理由を箇条書きで書いてみようと思います。

1.隆徳の妻鶴姫は、宇喜多に暗殺された三村親家の娘である
2.そのため隆徳自身、一門衆としての自覚が強かったのでは?
  (三村上野之介高徳と名乗っていたようです)
3.今まで臣従していた三村氏の突然の反逆に激怒した毛利氏は三村氏の根絶や
  しを決意していた

隆徳が、妻との婚姻で三村の一門衆になったと思っていたのなら、また、毛利氏
もそう思っていたのであれば、三村元親公が捕らえられ、自刃させられ、その息
子も斬首され、かつ、鬼身城城主、三村元親公の実弟、上田実親が切腹した状況
では、多分、許されることがないのだろうと覚悟を固めていたのだろうと思いま
す。

三村一族滅亡の犠牲になってしまったのかもしれません。
HPを調べた限りでは、毛利氏は上野隆徳へ降伏の使者を出したという記載はあ
りませんでした。

6300対200

結果は火を見るよりあきらかです。
三村氏側の最後の砦であるこの常山城に援軍が来ることはありません。

6月6日早朝。
総攻撃が始まります。
二の丸まで攻めてきた毛利軍をなんとかこの日は食い止めた上野軍。
しかし、これ以上の抵抗は無意味と思った上野隆徳は翌6月7日、本丸にて酒宴
を開き、自害をすることを皆に話します。

ここから常山城の悲劇は始まります。
備中兵乱記にはそのときの様子が詳細に描かれているようです。

まず、57才の継母が、隆徳が自刃するのを見るのは忍びないと縁側の柱に刀を
巻きつけ走り寄って体を貫き絶命。
15才の息子の源五郎高秀は、父を介錯するのが本当だが、自分が後に残るのは
心掛かりだろうからと腹を十文字に切って切腹。
8才の次男は、引き寄せ隆徳自ら刀で刺した。
16才になる妹(継母の連れ子か?)には、城を出るようすすめるが、その嘆願
を断り母を貫いた刀で自ら胸を刺し貫いて自害。

この世の地獄とはこのことをいうのでしょう。
落城の悲話は、あまりにも悲しく、せつない気持ちにさせます。

一族が次々と自害していくなか、隆徳の妻、鶴姫(当時33才? 元親の妹とあ
るがそうなると昨日元親を享年22才と書いたのがおかしくなる。後で調べたら
元親自身の生年がよくわかりませんでした。また、鶴姫はすでに40才という説
もあるようです。子供の年齢を考えると33才でもおかしくないかもしれません)
は無抵抗のまま死に行くのを潔しとせず、討って出ることを決意します。

自分は、三村親家の娘だと言う強い自負のもとに。

家宝の名刀、二尺七寸(三尺七寸という説も)の国平を腰に差し、鎧兜に見を固
め、単身毛利軍に討ってでようとしたそのとき。

「鶴姫様、お供いたします!」

という声が背後からします。
ふと、降りかえるとそこには戦支度を整えた34人の女房たちの姿がありました。

「あなたがたは、城を落ち延びなさい」

「いえ、すでに毛利軍によって海への退路も断たれました。どうせ散るべき花な
 れば、鶴姫様と同じ嵐に誘われて、死出の山、三途の川までお供いまします!」

「あなたがたは・・・」

ここに世に有名な「常山城の女軍」の進撃が開始されます。
鶴姫を先頭に総勢35名。
毛利方も女人の武者に手をかけるわけにも参らず、手をこまねいていたようです。
悲壮な覚悟で攻め入る鶴姫もいよいよ覚悟を決めたのか、敵の総大将、浦兵部尉
宗勝を探します。

「毛利方の大将、浦兵部尉宗勝殿は参らぬか! 我は女なれど、いざ、尋常に勝
 負願いたい!」

女軍の死に物狂いの攻撃に驚いて様子を見に来た、宗勝は、

「おぅ、わしはここだ。しかし、女を切る刀は持っておらぬ」

と答え戦うことを拒否します。

「ええい、口惜しいなれど、仕方なし。今より城中に戻り、夫とともに自害いた
 す。この三村家重代の家宝、国平を差し上げるゆえ、我らを弔っていただきた
 い」

そういって家宝の刀を投げ捨てた鶴姫は城内に戻り、隆徳に向かい合い、お先に
参りますと告げ、念仏を唱えたあと口に刀をくわえて臥して死んだと伝えられて
います。

妻の死後、一人残った隆徳は腹を十文字に切り、自害しました。

こうして、城内200名全てが全滅し、常山城合戦は幕を降ろします。
ここに、三村氏による備中兵乱も毛利氏に完全に平定されることになります。

常山城は三村氏のにっくきライバル宇喜多氏に与えられます。
その後、宇喜多氏も毛利氏と手を切り、織田氏につき、この常山城での攻防戦を
繰り広げます。

すぐそばにある「麦飯山」に、小早川隆景軍が布陣し何度か攻略するもかなわず、
本能寺の変前後に秀吉公と毛利氏が和睦した際、常山城も廃城になり、その歴史
を終えます。

常山城の石垣の一部は、下津井城に移されたとも言われています。

女性だけの軍、常山城の女軍。
全国でもここだけの話しだそうです。

常山城の北二の丸には、鶴姫と女房34人の霊を祭った墓がひっそりと建ってい
ます。
その墓前には今でも地元の方のささげる花束が絶えることがありません。

以上、長々となってしまいましたが、常山城の歴史的背景、備中兵乱についての
ご報告を終えたいと思います。

次回は、いよいよ常山城の縄張り、景色のすばらしさについてご報告いたします。

それでは〜
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<参考HP>
「まとさんのHP」〜常山城・女軍の戦い〜

「玉野歴史街道〜常山城コース〜」

「備中兵乱-三村氏の反乱-」

「逍遥の山」〜常山城〜

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