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戦国の風雲児〜織田信長一代記〜 第15号 2003年12月18日発行
「第15話 稲生の合戦」
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「お館様! 一大事でございます。勘十郎殿、ご謀反!」
「そうか」
「勘十郎殿は、お館様の直轄領である篠木三郷を横領。川岸に砦を築こうとし
ているご様子」
「勘十郎の馬鹿者が、家臣たちに祭り上げられおって」
「いかがいたしますか?」
「仕方ない、出陣だ。佐久間大学はおるか」
「ここに!」
「すぐに於多井川を越えて、名塚に砦を築くのだ」
「ははっ!」
時は、弘治2年(1556)8月22日。
勘十郎は、林兄弟の策謀にのり、信長に反旗を翻した。
翌23日雨。
「お館様! 名塚の佐久間殿からご注進!」
「何といってきた」
「砦を築こうとしたところ、柴田権六と林美作が手勢を率いてきたとのこと。」
「して、兵は?」
「柴田は1000、美作は700とのことです」
「そうか、では、こちらも出陣だ!」
「おぉ!」
…………………………………
8月24日。
「東側には権六の千、南には美作の700か」
「左様でございます」
「正面から行くと挟み撃ちに合うな」
そういって、信長は、一旦軍勢を70〜80m下げた。
このときの信長の軍勢は700あまり。
「かかれっ! まずは権六を追い払うのだ!」
「おぉ! この山田必ずや権六のそっ首を打ち落としてみせまする!」
「頼んだぞ」
しかし、山田治部左衛門は柴田権六にあっけなく討ち取られてしまう。
「山田殿、討ち死に!」
「佐々孫介殿、討ち死に!」
いくさが始まり正午過ぎ、次々に味方は討ち取られ、柴田軍に対して信長方は
手傷を受けて引き下がる。
見渡すと信長のそばには40騎ばかりしかいなかった。
「お館様、ここは危険です。一旦お引きください」
「ここは、この信房と三左衛門にお任せを! いくぞ、三左衛門!」
「はっ!」
「お館様、早くお逃げください!」
織田、柴田軍、双方ぶつかり合って戦っている様子を見ていた信長が立ち上が
る。
「うぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!」
雄たけびをあげて怒る信長。
そのあまりの怒りの形相に驚き足が止まる柴田軍。
「うわぁぁぁ…」
「お、おい、待て、ひるむな! 踏みとどまらぬか!」
権六の必死の制止も聞かず、逃げ始める兵たち。
ついには逃げ崩れてしまった。
「次は、南の美作だ!」
「おぉ!」
勢いつく織田軍。
信長が来る前に、黒田半平と林美作は数時間に渡って切りあっていた。
「やっ!」
「とぅ!」
「えいやっ!」
「ぐわっ!」
美作に左手を打ち落とされる黒田。
「黒田、大丈夫か!」
「お館様!」
「信長か、次はお前の番だ!」
「ふん、お前ごときに私が討ち取れると思っているのかっ」
「しゃらくさい、いくぞ」
「うぉりゃぁ!」
「ぐぅ」
「美作、この信長が討ち取ったり!」
「美作様が討ち取られたっ! 逃げろ!」
「者ども、一気に攻め立てるのだ!」
「おぉ!」
柴田、林両軍を追い崩した信長は、翌日首実検を行った。
……………………………………………
「何、権六が敗れたとな!」
「はい、信長自ら陣頭にたち、雄たけびを上げ、そのあまりの剣幕に権六様の
兵は逃げ惑ってしまった模様」
「美作はどうした!」
「それが…」
「どうしたのだ!」
「信長に討ち取られてしまいました」
「くっ! 兄の2倍もの兵を擁しながらかような結果になろうとは…」
「最早信長がこの那古野、末森にやってくるのは時間の問題です。かくなる上
は篭城しか手はござりません」
「なぜだ、なぜわしは兄に敗れてしまったのだ!」
「うろたえるでない、勘十郎」
「母上!」
「かくなる上は仕方ありません。私から信長にわびを入れれば、そなたの命ま
では奪わないでしょう」
「しかし…」
「私に任せなさい、私のかわいい勘十郎や。そなたの命は必ず救ってあげよう
ものを。これ、至急、清洲に使いを出し、村井と島田を呼んでまいれ!」
「はっ、かしこまりました」
……………………………………
「お館様、末森からご母堂様の使いとして、村井、島田両名が参りましたが…」
「ふん、大方勘十郎の命乞いであろう」
「いかがいたしましょうか?」
「許す、と伝えよ」
「よろしいので」
「ああ、勘十郎ごときを斬ったところで意味がない」
「では、林様はいかがいたしますか?」
「捨て置け」
「は?」
「先日、わしが訪ねた際に、あやつはわしを斬ろうと思えば斬れたはず。ゆえ
にこたびは捨て置け」
「かしこまりました」
信長の許しを得て、勘十郎、柴田権六、津々木蔵人が黒染めの衣を身にまとい、
お袋様とともに清洲に参上し、信長にお礼をいった。
<参考文献>
ニュートンプレス:信長公記(太田牛一:原著 榊原潤:訳)
角川ソフィア文庫:信長公記(奥野高広、岩沢愿彦 校注)
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*このページは信長公記との違いや、さらに詳細な説明が書かれています。
お時間に余裕がございましたら、ご覧ください。
+++++++++++++(編集後記)++++++++++++++++
皆さん、こんにちは。
キリです。
ついに血をわけた弟、信行は信長に反旗を翻します。
なぜ彼が反旗を翻したのか?
勝てる見込みはあったのか?
勝った後、織田家をどうするつもりだったのか?
また、どうして、このような肉親同士の争いが戦国時代には多いのか。
有名なのは伊達政宗ですね。
逆に兄弟仲良く助け合った家は、島津家、毛利家などがありますね。
その違いは何なのか?
身内の争いは現在も企業のお家騒動などにもありますので、ある意味普遍的な
何かがあるのかもしれませんね。
誰もがトップに立って、権力をふるいたいのでしょうか。
権力があっても能力がなければすぐに政権は崩壊するのにもかかわらず。
信長公記をしっかり読み進めると信長のすごさ、すばらしさが行間から感じ取
れます。
本当に頭のいい人なんだなぁというのがよく分かります。
その信長の頭のよさを少しでもお伝えできればと思います。