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■アンコール遺跡見学の参考に

 日本ではおよそ見られることの出来ない巨大なヒンズー文化の建築を、熱帯ジャングルの中から初めて見る人は、おそらく大きな驚きと感動を体験することができると思います。
 そんなアンコールの都を作った王国とはどんな国だったのでしょうか。詳しい歴史などは別のページで解説をしますので、ここでは、アンコール王国の町がどんな風であったかを史実と空想を交えてお話しようと思います。あくまでも遺跡見学の参考として、その頃のイメージが沸くように考えました。

 アンコールの建築と文化に大きな影響を及ぼしているのが、インドから伝わった仏教とヒンズー教でした。インドからどのような形でインドシナ半島まで仏教美術やヒンズー建築美術が伝わったのか、現在もまだまだ研究中であるわけですが、紀元1000年頃のアンコール王国はインドシナ半島の大きな部分を支配下において繁栄していました。





 暑い暑い熱帯の日差しの下で、アンコール王国の国王ウダヤーディティヤヴァルマン2世(在位1050年〜1066年)は、木造の王宮で奴隷に団扇を持たせ、西と東の国境の心配をしています。(アンコールの時代の住居は木造作りが一般的でした。)
 唇は厚く、目がくっりと大きく、重量感のある鼻をしていて、首には黄金の首飾りを幾重にも巻いています。メコンデルタの肥沃な大地がもたらす実りによって作られた恰幅のよい体は、王の前にひざまずく人々に重厚な威圧感を与えるのでした。

 現国王の父親であるスーリヤヴァルマン1世の時代は、その前の国王の時代から、王位争いが盛んに起こり国内は不安定でした。しかし、スーリヤヴァルマン1世が前王のジャヤヴィーラヴァルマンを倒して王位を継承してからは、王室の争いは無くなりました。そしてスーリヤヴァルマン1世は現在のタイの領土にあたるチャオプラヤー川下流まで領土を拡大しました。

 広大な領土を受け継いだウダヤーディティヤヴァルマン2世は、今度は領土を守ることに気を使わなくてはなりませんでした。

 国王は毎日一度は大勢の奴隷をしたがえて王宮の中にある池で沐浴をします。そしてその後で宮殿内のヒンズー寺院で儀式を行い、領土の安泰と王家の繁栄を祈ることが日課になっていました。

 ヒンズーの文化ではカースト制といって、国民は4種類に分類されていました。一番上がブラフマン(バラモン)と呼ばれる宗教の儀式を行うもの、二番目がクシャトリヤと呼ばれる、国王や貴族たち、三番目がヴァイシャ と呼ばれるもので、普通の職業に就く平民、そして四番目がスードラと呼ばれる下層の階級の人民で、人の嫌がるような仕事だけを行う奴隷階級の人を指します。さらにそのカーストの階級にすら入ることの出来ないバーリヤと呼ばれる種類の人民もいました。

 ヒンズー文化の国家では、この4つの階級は厳格に差別され、決して他の階級に移ったり、別々の階級同士での婚姻などはありませんでした。

 2番目の階級クシャトリアにあたる国王は、王の権威と力を最大化するために、国王の神格化をはかり、そのために国王の男根(リンガと呼ばれる)を神聖な神の宿るものとしてヒンズー寺院に祭るようにしました。自分とその子孫は神格化されるとしたのです。そして、そのことをもって、軍の兵士や国民が国王の命令を絶対的なものとして受け入れざるをえないようにしたのです。

 ウダヤーディティヤヴァルマン2世も自分のリンガを祭るためにバプーオンを建設しました。

 歴代のアンコールの国王は、国王の神格化した権威を高めるためにも、次々とヒンズー寺院を建築しました。ヒンズー教は沢山の神を持つ多神教ですが、その中でもシヴァ神(破壊者と恩恵をもたらす二つの顔を持つ神、リンガもシヴァを象徴するとされる)、とヴィシュヌ神(太陽の光を神格化したもの)、そしてブラフマー神(梵天とよばれ、宇宙の原理を神格化した)、そしてハリハラと呼ばれる合体神が主に祭られることが多いのです。そしてシヴァ神の神妃としてウマーと呼ばれる女神が、そしてヴィジュヌ神の神妃としてラクシュミーと呼ばれる女神が祭られます。神殿に至る道には動物の形をした神々が並べられています。中でも有名なのは、ガネーシャと呼ばれる象の顔を持つ動物神で、そのほかにも鳥の顔に人の体を持つガルーダ、馬の顔を持つヴァージムカ、シヴァの乗り物といわれる聖なる牛のナンディンなどがあります。

 またウダヤーディティヤヴァルマン2世は、農業の灌漑用水に利用するために西バライ(人口の湖)を造り、農業の生産を飛躍的にたかめました。そして豊かになったアンコール王国の力をさらに高めるために、軍隊の強化にも取り組みました。

 その頃の王国がもつ軍隊は、弓と矢を使う歩兵と、馬に乗る騎馬兵、そして重要な戦力として象の背中にのる兵の軍団がありました。東のチャンパ、西のシャムの軍隊も同様に象の部隊を主力に押し立てて戦いを挑んできます。それだけに象のあつかいが上手な兵士は軍隊の中でも重要な地位にありました。




 灌漑用水の整備で国家を富ませたウダヤーディティヤヴァルマン2世時代は、軍隊の力も強まり、国家は安泰のうちに暮すことが出来ました。

 アンコールの都を歩く人々は、天秤棒に熱帯ジャングルで取れたフルーツや、川で取れた魚などを乗せて売り歩きます。その頃の商売は、物売りが集って自然と出来た市場で商売をするか、天秤棒を担いで歩きながら一軒一軒声をかけて売り歩きました。大きな戦がなく、つかの間の平和を楽しむアンコールの人々の笑顔と笑い声が聞こえてくるようです。


 しかしながら、次の国王ハルシャヴァルマン3世の時代にはチャンパ王国がアンコールに侵攻して来るようになります。そしてそれから100年後の1177年には、チャンパ王国はアンコールの都を占領し、国王を殺害してしまうのでした。
 しかし、次の国王であるジャヤヴァルマン7世は逆にチャンパ王国を倒し、アンコールトムの都を造営し、仏教寺院のバイヨンを建設したのでした。このようにアンコールの都は衰退を繰り返しながら栄えていったのです。

 アンコールの遺跡には仏教とヒンズーの二つの宗教の遺跡が入り混じっていますが、いかにしてそのようになったのかは、まだまだ研究途上です。しかしながら、空想で話をするならば、ヒンズー教の成り立ちから考えると、王の権力を強化し、国力の増強をはかる必要のあるときにはヒンズー教が王族により保護され、逆に、戦争に疲れ平和を願う時代には仏教が広まっていったのだと考えるのも、一理あるかもしれません。

 アンコール王朝と敵対関係にあったチャンパ王国でもヒンズーの時代と仏教の時代が入り混じっていたことがあるというのは、面白い事実であると思います。

 チャンパ王国の歴史はこちらを参照してください。



 以上、さらりと、アンコールの都の時代の有様を物語ってみましたが、少しでも遺跡見学の参考になったら幸いです・・・。





 


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