「日本誕生」
日本誕生
  1959・東宝
日本誕生

製作:藤本真澄/田中友幸
監督:稲垣 浩
脚本:八住利雄/菊島隆三
撮影:山田一夫
特撮監督:円谷英二
音楽:伊福部昭

出演:三船敏郎
    中村雁治郎
    宝田 明
    久保 明
    東野英治郎
    田崎 潤
    田中絹代
    司 葉子
    水野久美
    杉村春子
    志村 喬
    鶴田浩二
    香川京子
    上原美佐
    原節子
    柳谷金語楼
    乙羽信子
    加東大介
    小林桂樹
    朝汐太郎
    左 ト全
    榎本健一
    有島一郎
    三木のり平
    他・オールスター


創造主、イザナギ・イザナミ

金語楼と朝汐

朝汐

朝汐と原節子

三船敏郎

三船敏郎と上原美佐

ヤマタノオロチの尾から名剣が出てきた

草原をなぎ払う三船敏郎

日本誕生
物語

今から千六百年も前の景行天皇の時代の物語である。
一族の重臣大伴建日連(東野栄治郎)は、天皇(中村雁治郎)の後添いの子、若帯(宝田明)を次の皇位に就けようと画策していた。
 
そのため天皇の前后の子、小椎命(オウスノミコト:三船敏郎)を西方の熊曽征伐に向かわせるよう天皇に進言、聞き入れられる。
小椎命は武勇に優れ勇敢な男であった。信望の厚い小椎命は大伴氏にとっては邪魔者であった。
悪名高い西の熊曽に立ち向かえばいくら武勇の誉れ高い小椎命でも討ち死にするであろうというのが大伴氏の計略であった。
 
小椎命は少ない兵を伴い、熊曽の館に行く。
まともに戦闘をすればこちらに利はない。小椎命は女官に変装して、熊曽の宴の中に潜り込む。
 
熊曽(志村喬)は女官に化けた小椎命を一目見て鼻の下を伸ばした。
「美しい!・・・」 小椎命は熊曽の元に近づいた。熊曽に勺をする振りをして隠し持った短刀で熊曽を突き殺した。
 
熊曽の弟(鶴田浩二)がそれを見て敢然と小椎命に立ち向かった。二人の剣が激しくぶつかり合う。そしてとうとう小椎命の剣は弟を刺した。
「私は兄のやり方に疑問を感じていた・・・平和を願っている・・・貴方はこの国で一番強い、これからは日本武尊(ヤマトタケルノミコト)と名乗ってくれ・・・」熊曽の弟は息絶えた。弟の熊曽は兄と違い理性的な平和主義者であったのだ。
 
日本武尊と名を変えた小椎命は意気揚々と都へ凱旋した。
小椎命が討ち死にするものと思っていた大伴建日連の計画は失敗に終わったが、天皇を唆し、休む間もなく今度は日本武尊を東国征伐に向かわせるのだった。
 
人を疑うことを知らぬ日本武尊も、弟たちをやらずに自分だけを征伐に行かせる父天皇を怨んだ。
 
語り部の媼(オウナ:杉村春子)が語る。
昔、天照大神(アマテラスオオミカミ:原節子)が天の岩戸にお隠れになった時、世の中は夜のように真っ暗になった。

アマテラスオオミカミの弟、須佐之男命(スサノウノミコト:三船敏郎二役)は、余りの暴れん坊で、アマテラスオオミカミは手を焼いていた。スサノウは田の畔を壊して溝を埋めたり、織物小屋の屋根に穴を開けそこから皮をはいだ馬を投げ入れたりした。そのために織り女が死んだこともある。

そのためアマテラスオオミカミ怒って天の岩戸に隠れてしまったのだ。
八百万の神々たちは天の安河の川原に集まりどうしたら良いか話し合った。そして・・・・

八百万の神々たちは岩戸の前で様々に踊ったり、歌ったりして騒いだ。
天宇受女命(アメノウズメノミコト:乙羽信子)が岩の上で裸踊りを繰り広げる。
神々たち(榎本健一、柳谷金語楼、有島一郎、三木のり平、小林桂樹)はその周りで飲めや歌えの大騒ぎである。
あまり煩いので天照大神は何事かと少し岩戸の隙間から外の世界を覗かれた。
その時、怪力の神(朝汐太郎)が力いっぱい岩戸を引いた。
天照大神が姿を現し世の中に光が満ちたのだ。
 
日本武尊はそんなおおらかな話を聞いても心は晴れなかった。しかし、東征の途中、伊勢に立ち寄り、叔母に会う。
伊勢神宮で宮司を勤める叔母の倭姫(田中絹代)から昔話を聞かされる。
 
昔、須佐之男命(スサノウノミコト:三船敏郎二役)は、出雲国の肥川上流で川上で老夫婦が泣いているのを目にした。
訳を聞くと、夫婦には八人の娘がいたが、毎年八岐大蛇(ヤマタノオロチ)がやって来て娘を食べてしまうのだという。今年もその季節が来たので悲嘆にくれているのだった。
最後の娘奇稲田姫(クシナダヒメ:上原美佐)は美しい娘だ。スサノウはクシナダヒメを妻として貰い受けることを条件にヤマタノオロチ退治を承知した。

八岐大蛇は巨大な八つの頭を持ち、それぞれが独立して暴れまくる。そこで須佐之男命は八つの大樽に酒を用意して待っていると、果たして大蛇が現れた。そして八つの首はそれぞれ酒を飲み始める。大蛇が酔いつぶれるのを待った。
やがて大蛇が酔うと須佐之男命は敢然と大蛇に襲い掛かる。須佐之男命と八岐大蛇の凄まじい戦いの末、大蛇は倒れる。その尾から出てきたのが名剣・草薙剣(クサナギノツルギ)であった。
 
その名剣を日本武尊は天皇から贈られ勇気百倍だった。
だが、これは天皇がくれたものではなく、倭姫の計らいであることを巫女の弟橘姫(オトタチバナヒメ:司葉子)は知っていた。
 
日本武尊は弟橘姫を一目見たときから恋をした。弟橘姫も日本武尊を慕っている。だが、巫女に恋はご法度の定めだった。
 
東征の旅に出た日本武尊の軍隊は無敵の強さだった。尾張の国に来たとき、国造の娘美夜受姫(香川京子)に招かれた。
美夜受姫は、病気の父に代わり国を害する日本武尊の命を狙っていたが日本武尊の立派な人柄に触れその気持ちは萎えていく。逆に日本武尊の後を追ってきた弟橘姫に嫉妬の炎を燃やすのだった。
 
弟橘姫を連れた日本武尊の軍勢は相模国に着いた。ここの国造大伴久呂比古(田崎潤)は、大伴建日連の使いを受け日本武尊を討とうと待ち構えていた。日本武尊を焼津の野に連れ出し周りから火を放った。
弟橘姫を伴った日本武尊は名剣で自分たちの周りをなぎ払うと逆に火を放った。
すると風にあおられ火は外に向かい大伴久呂比古の軍勢を焼き尽くしていくのだった。
 
走水まで来た日本武尊は大伴一族に謀られたこと、父天皇まで自分を亡き者にしようとしているのを悟った。
東征に意味は無い。日本武尊は大和に引き返すことにした。
この時、一天にわかに掻き曇り日本武尊の船団は波に飲まれそうになった。
恋してならぬ巫女の弟橘姫の身を神が怒ったのか。弟橘姫は荒れ狂う海に身を投げた。すると忽ち波が治まっていった。
 
大和の国にさしかかった日本武尊は大伴建日連の軍勢に迎えられた。多勢に無勢、日本武尊は敵の矢に倒れた。
 
すると、倒れた日本武尊の体から化身の白鳥が飛び立った。白鳥が湖の周りを飛ぶと湖の水面が俄かに盛り上がり溢れ出した。大伴建日連の軍勢が押し寄せる水に流された。
白鳥が山の上を巡ると突然、山が大噴火を起こした。溢れ出る溶岩が大伴建日連の軍勢を襲った。溶岩流が逃げる大伴建日連の軍勢に襲い掛かる。
地割れが起き、兵隊たちが落ちていく。
 
やがて白鳥は倭姫の館を旋回すると大昔この国を造った伊邪那岐(イザナギ)、伊邪那美命(イザナミ)のいた高天原に向かって飛び去っていくのだった。
映画館主から

東宝映画が製作1000本記念映画として製作した大スペクタクル作品です。
 
監督は「無法松の一生」(’58年、主演:三船敏郎)の稲垣浩。特撮監督は「ゴジラ」を始め日本の特撮技術を世界に知らしめた円谷英二です。
 
「古事記」「日本書紀」の世界を日本武尊(ヤマトタケル)の戦いを軸に須佐乃男命(スサノウノミコト)の伝説を織り交ぜながら、東宝オールスターで放った一大スペクタクル。
 
何しろ三船敏郎を始め、出てくるわ出てくるわで凄まじい数の男優、女優のオンパレード。
オールスター映画に有り勝ちの映画の出来の良し悪しに関してはここでは余り詮索しないことにします。
 
天の岩戸に隠れた天照大神の原節子、岩戸の前で裸同然で踊る乙羽信子、飲めや歌えやの喜劇陣、榎本健一、柳家金語楼、有島一郎、三木のり平、小林桂樹。
いやはや何とも贅沢でありました。そして岩戸を引くのが当時の人気横綱の朝汐太郎です。
 
 笑えたのは、熊曽征伐に行った三船敏郎が女官に化けた姿を見て志村喬の熊曽が鼻の下を伸ばし「美しい!」と一目ぼれするくだりです。眼光鋭く、太い眉毛真っ黒の三船はどう見たって男臭さプンプンなのに。
 
特撮が売り物の映画ですから、特撮場面に関しては当時目を見張るものがありました。
八岐大蛇(ヤマタノオロチ)と須佐乃男命の格闘シーン、ラストの湖の洪水シーン、山の大爆発と流れ出る溶岩のシーンなど。
 
円谷監督は密度の高い合成シーンを実現するため、バーサタイル・プロセスという合成用の機材を作成しました。
これは普通の映画用フィルムである35ミリフィルムを70ミリまでブローアップし、合成後に再び35ミリに戻すという手間のかかる方法であり、フィルムが大きいほど合成シーン特有の画質の劣化をなくさせるシステムだそうです。
 
ラストで逃げ惑う大伴の軍団が地割れした中に落ちていくシーンでは、人形などを使うとリアリティがないため、トラックを何台も使い人工的に造った地面を引っ張り地割れを起こし実際に人間を落としたのだそうです。
八岐大蛇は今まで着ぐるみと違い中に人間が入らない初めてのワイヤー操作によるものでした。
8本の首は自在に操作され、生物感を出すため中にはゴムホースを仕掛け空気圧で動かすという手間のかかる方法で、後の「キングギドラ」シリーズにも継承されました。
私は小学6年生のときにこの映画を劇場で見て、感動してしまったのを思い出します。
それまでこのような大掛かりな映画を見たことがありませんでしたから、強烈な印象でした。
その後、「十戒」や「ベン・ハー」などの大作アメリカ映画を見るに及び陰が薄くなりましたが、それでも小学生のときの記憶は頭に焼き付いています。

これはまさに日本版「天地創造」であります。
洋画においても、聖書や神話に基づいた映画が多くあり、「ソドムとゴモラ」(’62年)、「サムソンとデリラ」(’50年)、「ユリシーズ」(’54年)、「トロイのヘレン」(’55年)、「十戒」(’56年)など、目を見張るような一大スペクタクルの世界が我々を圧倒させてくれます。

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