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| −ア−
アトムボーイ・(株)アトム 元々、回転寿司ローリーズという名称で経営していたのですが、お客様にアピールできる、インパクトのある名称にしたいということで、(C)手塚プロダクションにより、鉄腕アトムのキャラクターと名称をお借りして、命名されました。社名は、アトムボーイと同様です(当時は、アトムボーイ以外の業態は経営していませんでした)。 アース製薬 現在の「アース製薬株式会社」の前進は「株式会社木村製薬所」であり、1964年に現在の社名に変更しています。 更に遡りますと、現在の赤穂市坂越において木村製薬所を創業したのは1910年であり、それ以前は創業者木村秀蔵(1870-1945)が1982年に大阪の難波新川で木村化学を設立し、「塩酸・硝酸・硫酸・舎利塩など」を地球印と銘打って製造販売していました。 赤穂市坂越では、塩素性炭酸マグネシウムの国産化に成功し、これを「地球印」として製造・販売しておりました。当初は木村製薬の名前で全国の業界に通用していましたが、昭和に入り殺虫剤など医薬品を含む日用雑貨なども沢山製造・販売するようになり、「地球印」の他「アース」の商品名を冠にした商品を出していることもあって、一般に馴染み易いと考え、社名を上記のようにしたわけです。(当時カナ文字の会社が流行っていたように思えます) 旭化成 旭化成工業株式会社の前身は肥料原料の石灰窒素の工業生産に日本で初めて成功した日本窒素肥料といいます。この日本窒素肥料が業容拡大に伴って、原料アンモニアを製造していた宮崎県の延岡工場を1931年に分離・独立し、新会社として延岡アンモニア絹糸を設立しました。同社を出発点として1933年5月に、レーヨンを製造していた旭絹織と日本ベンベルグ絹糸を合併して旭ベンベルグ絹糸と改名、更に1943年4 月にはダイナマイト製造の日本窒素火薬を合併して日窒化学工業と改名しました。 そして、戦後まもない1946年4月に旭化成工業と改名し、今日に至っています。 「旭」は日が昇る威勢のよさと、旭将軍と呼ばれた木曽義仲の武勇にちなんで選ばれ、これに業態を表す「化成工業」を添えて社名としました。 アートネイチャー 作り物であるかつらを本物以上に自然なかたちで提供したいと、芸術(アート)と、自然(ネイチャー)を組み合わせた事から。 アスキー 1977年、西和彦(現取締役)を中心とする3人が会社を創業する際、社名は下記の3つの条件で選びました。 (1)物事の最初を表す「あ」または「A」から始まる言葉。 (2)短くゴロがよい3文字。 (3)スピード感をだすため最後は音引きでのばす。 数点候補が挙がった中からコンピュータにかかわりがあり、響きがよい現社名が選響きがよい現社名が選ばれました。また、1977年に創刊した月刊パソコン情報誌に「ASCII」と名付け、これがユーザーの開拓に大きく寄与して社業を切り開く基になりま した。 ※ASCII(American National Standard Code for Information Interchange) 計算機システム相互間の情報交換を容易にすることを目的に、1962年に米国規格協会が制定した標準規格。1967年に国際標準となり、コンピュータ用の標準コードとして最も普及しています。 ◆社名をめぐるエピソード
浅田飴/Zacco platypusさんからの情報より 浅田飴は、明治時代の名漢方医である「浅田宗伯」の下に弟子入りしていた堀内伊太郎が製造・販売したのが始まりです。商品名かつ社名となっている「浅田飴」とは、もちろん師匠の浅田宗伯の名前をもらったものです。 いすゞ自動車 いすゞの名称は、伊勢にある『五十鈴川』にちなんで命名されました。 昭和9年、商工省標準形式自動車の量産を契機に、統一名称を決める際に、開発者が案を練り、車に名付けたものが、のちに会社名になりました。会社の商号が現在の「いすゞ自動車株式会社」になったのは、1949年のことです。 イマージュ イマージュは「Image(想像、イメージ)のフランス語読み」です。女性にとってファッシ ョンをあれこれ考えるのはとっても楽しみ。 イマージュがお客様に対して一番大切に思っているのは「イマージュカタログ」を楽しんで見て頂くこと、だそうです。 さまざまなシーンでの「素敵な私」「おしゃれな私」「かわいい私」「かっこいい私」etcをイマージュアイテムで想像していただきたい。そして多くのお客様にご自分のイメージをイマージュアイテムで創っていただけたら最高です。そんな願いを込めてキーワード となる「想像」「イメージ」のImageをさらにかわいく、おしゃれにフランス語読みで「イマージュ」としたそうです。 イトキン 元々は「糸金商事」の糸金をカタカナに商号変更していて、繊維の「糸」での商い(金)と創業者「辻村金五」の名前もかけてあります。 井筒屋 昭和10年頃、北九州に百貨店を創ろうと云う話が、当時の小倉市長や九州電気軌道の間で持ち上がり、場所等も論議され、将来性等を考慮し、小倉の地に作ることになりました。 当初は建設場所の当時の地名「宝町」に因み、「宝屋デパート」という名称で話が進みました。その後、経営に参加する事になった方の一人が、門司で「井筒屋呉服店」を経 営されており、屋号を「井筒屋」として、スタートすることになりました。昭和10年7月18日創立総会が開かれ、昭和11年10月6日開店したそうです。 一畑百貨店 一畑百貨店の親会社は、一畑電気鉄道といいます。明治45年に、平田市にある一畑薬師へ参詣されるお客様の輸送を目的に誕生しました。その一畑薬師が一畑の由来だそうです。 −ウ− ウェルファイド/Zacco platypusさんからの情報より 「ウェルファイド」は、武田薬品の関連会社である「吉富製薬」と、薬害エイズ事件で有名になってしまった「ミドリ十字」が合併して出来た会社です。この「ウェルファイド」(WELFIDE)という社名には、医薬を通じて人々の健康(WELLNESS)や福祉(WELFARE)に、誠実(FIDELITY)な姿勢で貢献し、社会から信頼(CONFIDENCE)される企業でありたい、という願いがこめられているそうです。 −エ− NTT 日本電信電話株式会社の英語名でNippon Telegraph and TelephoneCorporationのNippon(日本)のN、Telegraph(電信)のT、Telephone(電話)のTの頭文字をとって「NTT」といます。 エースヘリコプター ”ヘリコプター業界のエースになりたい”ということで、”株式会社エースヘリコプター”と命名致しました。 EDWIN/伊藤 慎一、まーくんさんからの情報より ・昔から東京と大阪は争う傾向がありました。東京を拠点にして会社を設立したEDWINは大阪に負けないような名前にしようとしていて、東京(江戸)が勝つようにと「江戸」+「WIN」→「EDWIN」となったそうです。 ・そもそも学生服メーカーだった江戸勝商店がジーンズ発売にあたり、『勝』を英語にし、さらに横文字表記にしてED、WINで『EDWIN』になった。 JEANSの生地DENIMのアルファベット5文字を自由に並べ換えるとEDWINという5文字を創ることができます。新しい発想、自由な発想で、ジーンズの可能性を切り開いていく『ものづくり』のスピリットがEDWINの名に込められています。 アララトさんからの情報より
岡山で学生服を作っていたメーカーがジーンズに目をつけ江戸に勝つという意味で江戸ウィンと付けたと聞きました。ビックジョンは社長の名前が小太郎で太郎はアメリカで言えばジョンだろう。でもリトルジョンじゃおかしいのでビックジョンにしたそうです。
阿部さんからの情報より
2000年4月1日に大同ほくさん株式会社と共同酸素株式会社が合併して、エア・ウォーター株式会社は誕生いたしました。両社ともに今までの殻はすべて破って、全く違 う形でスタートしようと考え、社名を新しくしたそうです。 本来、動植物は空気と水に囲まれた地球で生きているもので地球の環境を重視し、 地球への感謝が必要である。という思いから付けた社名です。 空気は、活力・希望を意味し、水は知恵につながるもの。 希望をもって、社員一同進んでいこうと考えています、との事。 −オ− オレンジ オレンジはスズショウ(株)という100円均一雑貨の卸問屋の店舗運営専門の子会社なのですが,同時に100円ショップの店舗の名前でもあります。 店舗の名前をフルーツからとろうと考えたときに、甘いばかりのフルーツではいやだな ぁと思ったそうです。 オレンジなら,甘味の他に柑橘類のすっぱさも有りいいかなと決そうです。 余談ではありますが「100yen Shopオレンジ」は登録商標です。 王様のアイディア 王様のアイディアは現在全国12店舗。どの店も駅から徒歩2分以内に行ける便利な 場所にあります。第一号店はサラリーマン諸君の”憩いの場”東京駅八重洲地下街。 ご存じの方も多いとおもいますが、なんとこの店は昭和40年にオープンしたのです。 高度成長期のまっただ中に楽しさ、不思議さ、夢、笑いを商品に託し、社会に心の余 裕をと、王様のアイディアを誕生させました。ネーミングは”お客様は神様”というとこ ろをあえて、”王様”と考え、それに会う言葉を探し、これを合わせて「王様のアイディア」となりました。 人間の社会生活には、真面目さに加えて、ユーモアや笑いが大切だと考えます。その ユーモアを”気品”とともに商品構成を考え、展開しているのが、「王様のアイディア」と いうショップなのです。時代が変わっても王様の哲学は変わりません。 21世紀の王様のアイディアはスタートしています。次の夢へ向けてアイディアと共に日 本の将来が更に飛躍していく企業でありたいと王様であるお客様に選ばれる店づくりを 目指しているそうです。 王子製紙/Zacco platypusさんからの情報より 王子製紙は1873年、渋沢栄一により設立された「抄紙会社」が原点です。2年後の1875年には、東京府下王子村(現在の東京都北区王子)に日本初の本格的洋紙工場が完成し、操業開始しました。創業地の名前が付いた「王子製紙」という社名が初めて使われたのは、1893年のことです。 −カ− CASA(カーサ) ”CASA”とは、「家」という意味合いの、スペイン語などでなじみの深い言葉です。 CASAでは、店名を「コミュニティレストラン」として捉え、近隣地域の方々にコミュニケ ーションを広げる場としてご利用していただきたいと考えており、このような名前をつけ たそうです。 花王 明治20年【1887年】6月、長瀬富郎は日本橋馬喰町に洋小間物店・長瀬商店を開業し、主として石鹸、文房具類などの商品を扱っていた。当時、石鹸は新時代の商品として都市を中心に普及しはじめていたが、化粧石鹸の国産化は著しく立ち遅れてい た。均質・良質の輸入ブランド品が尊重される一方、国産品は皮膚を刺激しがちな品 質の悪い廉価な製品が出回っていた。そしてこの頃、石鹸は洗濯用を「洗い石鹸」、 化粧石鹸を「顔洗い」と呼んでいた。こうした背景か田亀太郎、薬剤師の瀬戸末吉らの ら富郎は、国産のブランド化粧石鹸の製造に着手し、自らの創意工夫や石鹸職人の村協力を得て、ついに良質の国産石鹸を完成させることができた。 発売に先立って富郎は、「顔洗い」としての品質を訴求し、しかも発音が <顔>に通じることから、『香王石鹸』として商標登録出願した。しかしその後、親しみやすく、わかりやすいネーミングが検討され、最終的には富郎の発案で『花王』に改められ、明治2 3年【1890年】10月、本格的ブランド製品の『花王石鹸』が発売された。 《月のマークの由来》 月のマークは、長瀬商店で扱っていた輸入鉛筆の月星マークにヒントを得たといわれている。美と清浄の象徴である「月」を擬人化した半月の内側に人間の顔を配し、口か ら「花王石鹸」の文字を吐き出させ、その上に旭光をあしらった入念な図案は、高品質であることを象徴するもので、富郎の考案によるものであった。 昭和18年【1943年】には、事業がいつも若々しくあること、満ちていくものであるこ とを表わすために、それまでの右向き〔下弦〕から左向き〔上弦〕の月に改めた。現在 のマークは、昭和28年からのもので、川尻泰司のデザイン。 蟹や徳兵衛 「えちぜん」・「蟹や徳兵衛」:最初の頃は「越前屋徳兵衛(えちぜんやとくべえ)」という名前の和食専門店でした。(株)アトムの出発点となる地域名(越前)と、社長佐々木 正時が仕事をしていた「徳兵衛寿司」からとった名前です。この業態が時代の中で分化していき、一方は蟹専門店「蟹や徳兵衛」に、もう一方は和風ファミリーレストラン「えちぜん」に変わっていきました。 かつ時 とんかつの「かつ」に、社長佐々木正時の「時」をあわせて命名されましたが、同時に、「勝鬨をあげる」という言葉も由来となっています。この頃から、各業態の一番店を目指すという意味を込めてつけられた業態名になります。 Kappa マラソン発祥の地、そしてオリンピック発祥の地でもあるギリシャで、ギリシャ文字のKをカッパと読みます。古代シナイ文字が起源とされており、「κ」(Kappa)は上に向けられた手のひらを表 現した文字だといわれています。まるで勝利を祝するような力強いポーズが、スポーツの象徴として最適であるということから、新しく開発されるスポーツ・ウェアは勝利の意味を込めてKappa と名付けられました。 背中合わせの男女像は、人間の原点であるアダムとイブ。常に原点にたちもどってスポーツと人間を考えるKappaの姿勢を表現しています。 カプコン その由来は、カプセル・コンピュータの略だそうです。 この「カプセル・コンピュータ」とは何かというと、「パソコンのように汎用性のあるコンピュータではなく、ある特定の用途(=娯楽)に限定したコンピュータ」といったゲームマシンのコンセプトをイ メージした言葉で、「用途が特定されている」=「カプセルに入った」といった意味が含まれています。 −キ− 木曽路 島崎藤村の「夜明け前」の冒頭の文句「木曽路はすべて山の中…」から引用。宿場のひとびとが旅人を温かく迎えたように、お客さんに心を伝えたくて「日本人の心のふるさと…木曽路」を屋号とした。 紀文 創業時、”紀国屋”という屋号で商売をしていました。約60年前に社名を変更し、屋号の頭1文字”紀”と、創業者の関係者の名前の1文字”文”を組み合わせ、現在の”紀文”という社名になったそうです。 キユーピー キューピーは、ローマ神話に登場する愛の神、キューピッドをモチーフに作られたもので、大正時代に日本でも大流行。会社の創業者である中島董一郎が、人からの助言を参考に、人気者のキューピーを商標にしました。「キユーピー」の名も、当初は食品工 業株式会社だったのですが、昭和32年には“キユーピー株式会社”に変更しました。 さて、そこでよく皆様からいただくのは、“キユーピーの『ユ』はどうして小文字じゃないのですか?”という質問。 *理由は、デザイン上のバランスなんですね。商品の登録も、大きい『ユ』で行ったので、キューピーではなく、あくまでも“キユーピー”なのです。 ギャガ・コミュニケーションズ “ギャガ”は、英語の俗語で、“映画ファン”という意味があるそうです。 −ク− クボタ 創業者 久保田権四郎の名前です。もともと株式会社久保田鉄工所から久保田鉄工株式会社へそして株式会社クボタと社名変更した。 クラリオン 語源は「クラリネット」の原形とも言われており、古代ギリシャで軍隊が凱旋するときなどに用いた、明るくて、朗々と響き渡るラッパの意味です。 由来は昭和22年、『帝国電波』の社名で家庭用ラジオ(真空管使用)などの製造・販売をしていた頃、社内で「言いやすくて、親しみやすい商標(ブランド)」を作ろうと言うこ とになりました。戦後すぐの頃でしたので、進駐軍によって米国の影響を強烈に受けていたころです。 カタカナを使いたがる風潮にも乗って、ブランドは英語で・・・海外進出も視野に入れて。 選考の過程で、当時NHKラジオの人気英語講座「カムカム英会話」で講師をしていた「平川唯一(ひらかわ・ただいち)」氏や、GHQの将校10名ほどからもアンケートや意 見を聞きいたそうです。その結果、親しみやすく、言いやすく、響きのよさも手伝って「CLARION」に決定しました。 昭和45年、東証・大証1部上場を機に、商標(ブランド)を商号(社名)に。つまり、社名を新しく『帝国電波』から『クラリオン』に変更しました。 クリニコ クリニカルフーズコーポレーション ⇒ の略でクリニコだそうです。 クレシア/Zacco platypusさんからの情報より 株式会社クレシアは、平成8(1996)年、十條製紙と山陽国策パルプが合併して日本製紙となったとき、それぞれのグループ会社であった(「クリネックス」でおなじみの)「十條キンバリー」と(「スコッティ」の)「クレシア」(旧社名:山陽スコット)の両社が合併して、今日の形になりました。社名は、スペイン語で「成長・発展する」という意味を持つ"CRECER"から名付けられました。英語の"CREATION"(創造)はその派生語の一つで、何かを生みだす、清新でのびのびとした企業のイメージを求めた社名だそうです。 新しい社名とともに、上弦の月をモチーフにしたロゴマークも作られました。英語で上弦の月(三日月)を表す"CRESCENT"も、"CRECER"の派生語の一つで、満ちていく月をイメージしたマークとなっています。 −ケ− KVK/Zacco platypusさんからの情報より KVKは、旧社名である「北村バルブ株式会社」の略です。「株式会社」を「K」にしちゃうのは、強引ですが常套手段のようです。(YKKと似てますね。) −コ− コニカ/Zacco platypusさんからの情報より 「コニカ」は1873(明治6年) 4月、杉浦六三郎さんが東京の麹町4丁目にあった小西屋六兵衛さんの店で写真及び石版材料の取り扱いを開始したのが始まりで、昔は「小西六写真工業」という社名でした。(「小西屋六兵衛」の略ですね。) そしてかつては、カメラが「コニカ」(小西六のカメラという意味)、フィルムが「サクラカラー」、コピー機が「U-BIX」というブランドでした。1987年10月に社名及び全てのブランド名を「コニカ」に統一したそうです。 コモ(COMO) 天然酵母の故郷・イタリアのコモ湖からきています。 2つの「O(オー)」がくるくると回っているデザインは、パンやケーキなど、食べ物を作るときのミックスを表し、おいしさ・たのしさを象徴的に表現しています。 また、「CO(赤字)」はコミュニケーションのCOであり「MO(緑字)」はMORE(よりもっと)のMOであり、これは、おいしさを通して人々により多くのコミュニケーションを提 供するという、株式会社コモのポリシーを意味します。 基本色の赤と緑のイタリアンカラーで、赤は楽しさ・明るさを、緑は健康・若さを表します。 コロナ コロナの意味は、月が太陽を完全に覆い隠す皆既日食の時、この短い時間だけに太陽コロナの姿を見ることが出来ます。その真珠色の光が放射状に放たれる姿を意味しています。 名前の由来は、創業者、内田鐵衛が石油コンロの研究に没頭中暗がりで見つめたコンロの青色の炎が、コロナ放電の発行色と似ていることに気づいたのがきっかけとなり、これに美しく光輝く太陽のコロナのイメ?ジとを重ね合わせてコ ロナと名付けられました。 コグネックス “コグネックス”は、"Cognition(認識)Experts (専門家)"を意味しています。これは、今から 20年前にコグネックス・コーポレーションを設立しました、当時マサチューセッツ工科大学(MIT) の人間知覚の教授であったロバート・J・ シルマン博士によって名づけられました。 −サ− サントリー サントリーの名前が最初に現れましたのは、製品名からです。 昭和4年(1929年)4月、最初のウイスキーに創業者・鳥井信治郎が「サントリー」と名付けました。 彼は、現在のサントリーの前身「寿屋」の土台を築きました赤玉ポートワイン(現在の赤玉スイートワイン)の「赤玉」すなわち太陽(サン)の下に自分の名前・ 鳥井(トリイ)を結び付けて、「サントリー」と命名しました。 そして昭和38年(1963年)のサントリービール発売の年に、社名を「寿屋」から現在の「サントリー」に改めました。 ---------------- -Takeさんからの情報- サントリーは、「酒」という文字を「へん」と「つくり」に分け、サンズイ(三)と酉でサントリーにしたと僕は聞いた事があります。 サンポット サンポットはSUNPOT SUN=太陽 POT=壺。 ストーブの燃焼室が、灯油がたまった壺で太陽のように暖かく燃える事をイメージして ストーブの名前をサンポットとして発売し、その後社名もサンポットとしたそうです。 再春館製薬 “再春館”とは、その昔、肥後藩の八代目藩主細川重賢公が開設した、医学校の名前です。この再春館には、身分の区別なく医学を志す者なら誰でも入学でき、また分けへだてなく患者を受け入れたといいます。 この再春館は、明治三年に廃止されるまで約百年もの間、北里柴三郎をはじめとする多くの医者を世に送り続けてきました。私たちが熊本の地で会社を始めるとき、ためら うことなくこの再春館を社名としたのは、郷土の誇りでもある、自由で思いやりにあふれた先人の精神、その学びの心を受け継ぎたいと考えたためです。 −シ− ジャムコ ジャムコの社歴の中に、「新日本航空整備株式会社」と商号した時期がありました。その英名の頭文字が由来となっています。 NEW JAPAN AIRCRAFT MAINTENANCE CO.LTD RCRAFTのA,MAINTENANCEのM、COです。昭和63年(1988)に「株式会社ジャムコ」に商号変更しております。 蛇の目ミシン ミシンに使用されているボビンという部品があります、この部品は円筒状で下糸を巻く為のものです。これを見ますとヘビの目ににているところから蛇の目と名前を決めたそ うです。 JR JRはJAPAN RAILWAYの頭をとってJRとしています。由来は、国鉄時代のJNR(JAPAN NATIONAL RAILWAY)から国有(NATIONAL)がとれたところにあります。 ちなみに、JR北海道はHOKKAIDO RAILWAY COMPANYといいます。 シード コンタクトレンズメーカーのシードは、1957年(昭和32年)に「株式会社東京コンタクトレンズ研究所」として設立されました。当初は「マイコン」というブランド名を使っていましたが、1985年(昭和60年)ブランド名を「シード(SEED)」に改め、1987年(昭和62年には、社名も「株式会社シード」としました。 シード(SEED)とは英語で「種」という意味で、「新しい大地に”英知”という名の種(SEED)を蒔き、豊かな恵みを得る。そしてその恵みがたくさんの人々のお役に立ち、喜んでいただく。」という願いが込められているそうです。 −ス− 寿がきや 創業者の方の名前が「菅木周一」さんだから。す・が・き・屋だそうです。 −セ− 星和電機株式会社 (設立昭和24年)の「星」の一文字は,前身の三星(みつぼし)電気有限会社(創業 昭和20年)から来います。 創業者は,近江商人発祥の地 滋賀県の出身で、近江商人は,天秤棒を担ぎ,行商の途でくじけた時は,満天に輝く三星(オリオン座)を眺め再び勇気を出したとのことで す。当社の「星」もこの故事から由来したと言われています。「和」は,従業員の親睦を はかり和を保つという意味合いが込められています。 −ソ− ソーテック SOTECの社名の由来は代表取締役社長名:大邊創一のソウとテクノロジーのテクをつなげたものでクリエイティブなテクノロジーをイメージしたそうです。 −タ− タキロン 前身の瀧川セルロイドの「タキ」と、高分子化学をイメージさせるナイロンやビニロンの「ロン」を合成させた社名、タキロンが名前の由来です。 ダイニチ 昭和39年に創立されましたが、その前身となる東洋技研工業(今はもう使われていない、家庭用石油コンロなどを製造販売)でも「ダイニチ」は商品ブランドとして使ってい ました。 *「ダイニチ」の意味は「大きな日本=大日」です。 創業者の現会長は、会社を興すとき、敗戦で意気消沈した日本をまた大きな日本にしたい、そのために貢献したい、との思いから、「ダイニチ」を商品ブランド名に選んだわ けです。始まりがブランド名だったこともあって、当初より「ダイニチ」はカタカナであり、決して「大日」ではありません。 なお、会社がそれなりに大きくなった頃、現会長がお取り引き様などからダイニチの由 来を訊ねられたとき、上記のような説明はなかなか難しいので、「大日如来が夢枕に立って・・・」と話したこともあったそうです。そのため、一般には大日如来説の方が信 じられていましたので(社員でも誤解している場合が多かった)、この件は以前ダイニチの社内報の中で、会長より正しく説明してもらいました。 なお、「大日」もしくは「ダイニチ」と呼ばれる会社は国内に多数ありますが、ダイニチ工業(株)は他社とは全く無関係の独立した会社だそうです。 タイタス・コミュニケーションズ タイタスは英語表記ですと「TITUS」になります。 設立当初の合弁会社、株主の頭文字を取った形になっています。 T→東芝
−チ− −ツ− −テ− デニーズ デニーズはもともとアメリカ・カリフォルニア州で1953年にスタートしました。ドーナッツとコーヒーを売り物にした「ダニーズドーナッツ」が発祥です。そして、ダニーズが変化しデニーズになったといわれています。 日本のデニーズは1974年にUSデニーズとライセンス契約をしたイトーヨーカ堂の100%出資で誕生しました。 −ト− トマト銀行 平成元年4月1日に相互銀行より普通銀行に転換し、社名を「株式会社 山陽相互銀行」より「株式会社 トマト銀行」となりました。 岡山に拠点を置く銀行として、地場中小企業やベンチャービジネスの育成と地域のお客さま特に女性や高齢者の方々に親しまれる銀行を目指すということで、様々な社名 の候補の中から、「トマト銀行」の名が決定いたしました。 トマトは、私たちの食生活の中でも馴染みが深く、栄養価、価格、気取らない素直さ、平凡さなどあらゆる点で、当社が理想とする銀行のイメージにぴったり当てはまるとの 考えからです。この「トマト銀行」という社名は、それまでの銀行名の常識であった「威厳」「重厚」といったイメージを大きく覆すものとして、当時のニュースにも大きく取り上 げられました。以後、様々な銀行でカタカナ名や個性的な銀行名が誕生したことは、ご存知のとおりです。 トンボ鉛筆/Zacco platypusさんからの情報より 日本を代表する文房具メーカーであるトンボ鉛筆は、大正2年(1913)に「小川春之助商店」として創業されました。「トンボ」は昭和2年(1927)に、鉛筆のマークの一つとして初めて使用されました。当時はいくつかのマークの商品がありましたが、昭和14年に、一番人気があった「トンボ 」のマークを社名にして「トンボ鉛筆」としました。 トンボという昆虫は別名を「秋津(あきつ)」といい、日本の象徴(古くは日本のことを「秋津洲」と呼んでいた)といわれています。また勝ち虫ともいわれ、昔、武将の兜の正面の装飾具につけられていた縁起のいい虫であることも、社名・ブランド名とする上で決め手となりました。 英文で書く場合"TOMBOW"とWの字が付きますが、英語で"TOMB"(ツーム)と書くと「墓」という意味になるため、これとの誤読をさけるためです。 ちなみに、トンボの鉛筆や消しゴムのブランド名である「モノ」(MONO)という名称は、ギリシア語の「モノス」に発する英語の接頭語で「唯一の・無 類の・比類なき」という意味の言葉です。 (株)トキハ 「トキハ」の由来・・・・「常盤(ときわ)」 その意味 1、一年中、緑葉を保つ常緑樹のこと。 秋になっても紅葉せず、冬になっても落葉しない。 1年を通して常に青々している。つまり、いつもお客様へ変わらないご奉仕をする という意味が込められています。 2、永久不変のこと。 いずれも大変、縁起のよい意味です。 *「トキハ」の「ハ」が、「ワ」ではなく「ハ」なのは・・・ 「ハ」は漢字数字「八」につながり、末広がりで縁起がよいからです。 また、「ハ」の字の方が座りがよくて、安定感もあそうですよ。 −ナ− なか卯 1. 「なかの かずお(中野 一夫)」がつくった「うどん屋」で「なか」と「う」である。 (当時、なか卯は「立喰いうどん」の気軽さと、思いっきりの品質の高さと低兼な価格をコンセプトに第1号店を茨木市に開業しました。(この店は座席はありました。)が、うどん屋に「卯」の文字を使用する屋号が多かった。 2. 「卯」の文字が観音様の厨子(両面扉)のような形をしていて、有り難く、縁起が良い。 3. 「卯」のうさぎが、ピョンピョン飛び跳ねるところから、会社が大きく飛躍するようにと願った。 ということから創業者であり、現取締役相談役である中野 一夫は、当時いずれが最大の理由であったかについては、現在は黙して語らず、ただニコニコするばかりだそうです。 株式会社 中三 明治29年「中久(なかきゅう)」という名前で個人営業として開業しました。 この「中久家」閉店の際、屋号「中二」「中三」の2つに分家し、当社創業者である中村吉次郎は「中三」の屋号を譲り受け、現在の社名となっているそうです。 −ニ− ニッカウヰスキー 創業当初、ウイスキーを熟成するまでジュースを製造していた大日本果汁(株)の「日果(ニッカ)」に由来しています。 ニッカは「日本果汁」の略。創業者の竹鶴さんは寿屋(サントリー)から独立し、小樽に ウィスキーの蒸留所をつくった。しかし熟成するのに何年もかかるので、経営のために小樽近郊で収穫されるリンゴのジュースをつくって売ることにした。 竹鶴が最初に設立した蒸溜所は小樽ではなく、余市町というところです。りんごジュースやりんごケチャップなどのりんご加工品の原料も余市特産のものです。 創業者の竹鶴政孝は、ウイスキー製造のため会社を設立しましたが、熟成が必要なウイスキーを商品化するまでの間、余市の名産である果実を原料に、ジュースなどの 製造していました。 昭和15年に第一号のウイスキーとして「ニッカウ井スキー」を発売し、それから12年 後の昭和27年に社名を現在の「ニッカウヰスキー株式会社」に変更しました。 また、・・・なぜ「ウヰスキー」と、旧仮名遣い表記しているのか・・・WHISKYは、今の 仮名遣いでは「ウイスキー」と書きますが、その昔は、一般的に英語の発音に近い「 ウヰスキー」と表記されていました。ところがニッカ創始者の竹鶴政孝は「ウヰスキー は水が命だから、“ヰ”の代わりに井戸の“井”を使おう」と考え、大日本果汁?時代に 発売されたウイスキーのブランド名を、漢字の“井”を使い「ニッカウ井スキー」としまし た。もともと社名ではなくブランド名から始まったわけです。 昭和27年、社名を変更するにあたり「ニッカウ井スキー」で登記申請をしたものの、受 付けたお役所では一般的な「ウヰスキー」を使用して「ニッカウヰスキー」と登記してし まったいう話が残っています。何故、訂正しなかったのかは今となっては闇の中ですが、それ以降も、広告などでは「ニッカウ井スキー」という表記を使用していました。 最近では、登記上の「ニッカウヰスキー」を使用しているそうです。 ニチレイ/Zacco platypusさんからの情報より 太平洋戦争中の昭和17年、水産統制令により、海洋漁業に伴う水産物の販売、製氷・冷蔵業などは国家によって統制されることになりました。このとき中央統制機関として、水産会社を中心に18社などの出資(資本金五千万円)により設立されたのが「帝国水産統制株式会社」です。終戦後、水産統制令は廃止され、昭和20年にこの会社は「日本冷蔵株式会社」となりました。「日本冷蔵」を略した現在の社名「株式会社ニチレイ」となったのは昭和60年のことです。 −ヌ− −ネ− −ノ− −ハ− パイオニア 創業者 松本望が、昭和23年にブランドとして登録致しました。 背景と致しましては国産初の高音質ダイナミックスピーカを売り出すさいに斬新な商標をつけようと決意し、松本 望自らが考案致しました。 「パイオニア=開拓者が自分の精神にぴったりである」というのが理由からでした。 −ヒ− 日野自動車/Zacco platypusさんからの情報より 「日野自動車」は、やはり本社が東京都日野市にあるため、この名前になったものと思われます。「日野」という地名は天正14年(1586)の文書に「日野惣郷」の名が見られること、また慶長10年(1605)に甲州街道が整備され日野宿が置かれたという史実から考えても、明らかに「愛知県豊田市」のように社名が都市名になったものとは異なると考えられます。 −フ− 富士ゼロックス 富士フイルム株式会社と英国ゼロックス・リミテッド(米国ゼロックス社100%出資の会社)の出資によりできた会社です。 富士フィルムの「富士」とゼロックス社の「ゼロックス」をとって、「富士ゼロックス」と名前がついています。 「ゼロックス」の名前ですが、複写法の「ゼログラフィー」の意味からからきておりま す。これは「乾式」を意味するギリシャ語のゼロスと、「描く(描写)」ことを意味するギリシャ語のグラフェンをあわせて、複写法を「ゼログラフィー」と名づけました。そこから社名に繋がってくるのですが、「コダック」社の綴りが「KODAK」でKとKで文字が終っていますので、それに似た形でゼロックス社も、ゼログラフィーの綴りのXで始まり、Xで終 る、語呂あわせのような感じで「XEROX」と名づけたというエピソードが残っております 。 プランタン銀座 名前の”プランタン”(Printemps)とはフランス語で”春”の意味ですが、パリに本店を構えるフランスの伝統ある百貨店”オ・プランタン”との海外提携店であるための固有のストアネーム(ブランド)です。 ファンケル ファンケルはFANCY(愛らしい)とFINE CHEMICAL(精密化学)の複合語です。 ファンケルのシンボルカラー(ブルー)には、豊潤な水を象徴し、さわやかで澄み切ったイメージ、 透明で純粋なイメージが表れています。 三菱ふそう(FUSO)/Zacco platypusさんからの情報より 三菱自動車のバスやトラックには「ふそう(FUSO)」というブランド名がつけられています。 ふそう(扶桑)とは「東海の日の出る所にあるという神木」のことで、昔中国ではこの神木のある所、すなわち日本を指す言葉でした。 昭和7(1932)年、当時の三菱造船は神戸造船所内でガソリンエンジンのバスを開発しました。 このバスに「ふそうB46型」と命名したのが「ふそう」の始まりです。 その後三菱自動車が設立された後も「ふそう」の名前は受け継がれ、今日に至っています。 ブルボン ブルボンは、大正13年11月 北日本製菓株式会社として創立しました。そして昭和27年に北日本食品工業株式会社に社名変更。ブルボンという名は昭和38年に商標を取りました。 さてこのブルボンはどこから来たかというと、最初ブルボンはコーヒー飲料の商品名だったのです。昭和36年にインスタントコーヒーを製造販売した時、使われたコーヒー豆がアフリカのブルボン島でとれた事からブルボンコーヒーと名付けられました。 時代を繁栄して北日本食品工業株式会社は何かいい社名はないかと言うことでこの商標のブルボンを社名にしたそうです。 −ヘ− PENTAX/sus4さんからの情報より カメラで有名なこの会社は、ファインダから見える映像と、実際に撮影される映像に誤差がなくすため、レンズからの映像を五角形<pentagon>の精密なプリズムで分光してファインダに送ることに最初に成功したことに由来するようです。 −ホ− ホーマック 住まいと暮らしを快適化する、ホームアメニティセンター(Home Amenity Center)がその語源です。 −マ− 丸三証券 創業者の出資者3人が1万円ずつ出し合い資本金3万円でスタートした事にちなんで商号を「丸三」にしたそうです。 (株)松屋 「松屋は創業当時(明治2年)鶴屋呉服店といって、横浜・石川口というところが発祥の地でした。後、明治22年(1889)東京に進出し、神田今川橋の松屋呉服店を買収し、その屋号を継いで商売を続けました。」 これが松屋の名前の由来です。 −ミ− 三井物産 三井グループの歴史は江戸時代初期にさかのぼり、「三井家」にその端を発します。発祥の地とされるのは、松坂(現在の三重県松坂市)です。 家祖は、三井八郎兵衛高利、そして商売の祖をその母・殊法としています。そもそも三井家は武家の出であったとされ、藤原道長の末裔・藤原右馬之介信生が近江に移って武士となり、初めて三井の性を名乗ったそうです。 −ム− −メ− −モ− −ヤ− ヤマト運輸 ヤマトは旧国名を付けたものですが、創業者・小倉康臣氏が会社創立の準備をするため創立事務所をおいた姉の嫁ぎ先の屋号が山登屋(やまとや)だったことも影響し ていると言われています。しかしながらヤマト運輸のマークがクロネコのマークである ことから、お客さんの間から自然に「クロネコヤマト」と呼ばれるようにもなりました。 ネコマークは昭和32年に誕生しました。同年、業務提携した米国の運送会社アライドヴァンラインズ社がやはり猫のマークを使用しており、当時の社長が「親ネコが子ネコを運ぶ姿はお客様の荷物を丁寧に運ぶ運輸業にふさわしい」と同社の許可を得て、こ れをモチーフにデザインいたしました。この時、黒い親子ネコを使用したため、「クロネコ ヤマト」がお客さんからに呼ばれるようになったらしいそうです。 株式会社 山形屋 山形屋の始祖、初代源衛門が東北山形県の出身で、1751年に紅花の仲買、および 呉服太物行商を始め1772年薩摩へ移住し、今の地で呉服太物店を構えたのが社名の由来です。 −ユ− ユニ・チャーム Universal(万人共通の),Unique(独自の)、united(団結・結合した)の三つから取った「ユニ」消費者の人気の生理用品「チャーム」をつけた。 −ヨ− ヨネックス 1946年(昭和21年)新潟県三島郡塚山村にて、現会長の米山稔が、復員後木製品を製造・販売を開始し創業致しました。その後(株)米山製作所として1957年よりバドミントンラケットの製造、1969年よりテニスラケットの製造を開始し、1974年にヨネックススポーツ(株)に商号変更、1982年にはゴルフクラブの製造を開始すると共 にヨネックス株式会社と商号を変更し現在に至ります。ヨネックス(1974年より)の名 前の由来につきましては弊社会長米山稔がインタビュー(月刊「プレジデント」97.9月号P36、発行プレジデント社)にて答えております。「外国人にはヨネヤマという名前が発音しにくいんですよ。 だから半分にきってヤマを捨てた。そこに未来の可能性をあらわすエックスをつけたというわけです。」 −ラ− ラオックス株式会社 「LaOX」とはラテン語の「Lar」-古代ローマなどに登場する家庭の守護神と「VOX」 -声または音の意味を合成したもので、家庭の守護神の声“幸福を呼ぶ声”と解釈しま す。販売会社として地域社会に奉仕することを社のポリシーとしていることを表します。 色彩はブルーとオレンジをメインカラーとし、企業の信頼性、知性、安定性を表現する ラオックスブルー、人間性を感じさせるラオックスオレンジと、今までの情熱や積極性 を保持しつつ、よりお客様に親しみやすいイメージを象徴しているそうです。 −リ− リンガーハット リンガーハットは昭和37年に長崎で生まれました。長崎にあるグラバー園の中にリンガー邸(イギリスの商人・フレデリックリンガーさんの家)というのがあります。グラバー邸と並んで親しまれるリンガー邸のたたずまいに、陽気で気軽なHUT(小屋)の雰囲気をプラスして、リンガーハットの社名にしました。 −ル− −レ− −ロ− −ワ− |