ベトナム王朝その二 |
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![]() ■ベトナム王朝その二
![]() 5) 明による支配 (20年間)
明の永楽帝はベトナムを支配下に収めると、徹底した明への同化政策をとりました。ベトナムに明と同じ行政制度を施行し明の政治を村落まで徹底させました。また税制も以前にましてきびしくし、土地税、人頭税、軍役や労役も課しました。またベトナム独自の文化や風習を禁止しすべて明に同化させました。このため、再びベトナム人の明への反抗の機運が高まります。 明による支配に反乱を起こし、再びベトナムへ独立をもたらしたのは、英雄レ・ロイとグエン・チャイです。グエンチャイはもともと父とともにホ・クィリの政権で科挙試験に合格し役人として使えていた人物です。明の進攻を受け父とともにつかまり、父は明へ連行され、グエンチャイは逃走しベトナム国内を10年間放浪します。 1416年にタインホア省ラムソンのルンニャイ村で土豪のレ・ロイが反明軍の蜂起をしたときに、反乱の戦略書を携えてレ・ロイの同志になります。そしてグエンチャイはレ・ロイの軍師として、また政治顧問として活躍します。 10年間の苦しい戦いを戦い抜き、1427年に明の永楽帝が亡くなり明軍の勢力が衰えた機に乗じて、1427年ついにレ・ロイ軍は明軍をベトナムから追い出すことに成功します。 6) 黎(レ)朝 (前期:1428〜1527年、後期:1533〜1788年) レ・ロイは明軍に勝利すると、明軍の捕虜2万人と取り残されて城に篭城した兵9万人を、グエンチャイの進言を聞いて追い討ちせずに明へ送り返します。そしてすかさず明と和睦を行い、明へ毎年朝貢するする約束を行い、安南国王の称号を受けます。 レ・ロイは1428年4月に皇帝を即位し国号を大越としました。レ・ホアンの黎朝に対しレ・ロイの黎朝は後黎朝とよばれます。 グエン・チャイは侯爵の位を受け内務大臣として活躍し、疲弊したベトナム国内の改革を行い、国をたてなおすことに貢献しました。 レ・ロイは1433年に48歳で死去し、帝位を11歳の幼い孫のレ・タイ・トン(黎太宗)が継ぎます。そのレ・タイ・トンの教育係としてグエン・チャイが選ばれます。このころ宮廷内は幼い幼帝を巡って権力争いが絶えず、レ・タイ・トンは20歳のときにグエンチャイの家に出かけたとき、陰謀によって殺害されてしまいます。罪を着せられたグエンチャイは処刑されてしまいます。1442年のことでした。 黎朝4代のレ・タイン・トン(黎聖宗)は、北の大国の明とは巧みな外交戦略で和平を保ち、南のチャンパ王国と西のラオスへは進攻して領土を広げるなどの活躍をして外圧を制しベトナム国内を安定させ、ベトナムの中興の祖と呼ばれています。 1471年レ・タイン・トンはチャンパを攻撃し、首都のチャバン城を陥落させ、チャ・トアン王を殺害します。これによりベトナムは中部地域を支配化に置き、チャンパ王国は次第に勢力を失ってゆきます。 1479年には西のラオスを攻撃し、インドシナ半島の中央にあるチャンニン高原を占領し、支配します。 レ・タイン・トンが国内で行った改革は、国内を13の道に分け細かく行政区分を分けたこと。3年毎に戸籍調査を行ったこと。土地制度の基盤である「公田制度」を作ったこと。法律である「洪徳律例」を作ったことなどがあります。 1505年に即位したレ・ブィ・モク皇帝の時代に黎朝のベトナムは乱れました。彼は酒浸りで、さからう者は即座に殺してしまう残酷な皇帝だったので、いとこによって反乱を起こされて、自害させられてしまいます。彼の後継者争いで、宮廷は大きく乱れます。その中で巧みにレ・ブィ・モク皇帝の軍総司令官だったマック・ダン・ズンは権力の実権を握ってゆき、最後の皇帝統元帝に迫って帝位を譲り受け、1527年に皇帝の座についてしまいます。 統元帝とその母親はマック・ダン・ズンによって幽閉され自害させられてしまいます。これにより前期黎朝は中断することになります。 7) 南北の抗争、チン氏とグエン氏の戦い マック・ダン・ズンによって帝位を奪われた黎朝の旧臣たちは、王宮から逃げ出し各地で反乱の兵を起こします。黎朝の旧臣のグエン・キムはラオスに逃げ光紹帝の子レ・チャン・トンを見つけ、ラオスで即位させます。その後、明へ使いを送りマック氏を撃つことに協力するように要請しますが、明はマック・ダン・ズンを安南都統使に封じてしまいます。これによりマック氏は1527〜1592年の5代65年間続くことになります。(このあたりは分かりづらいところですが、黎氏も皇帝を名乗りマック氏も皇帝を名乗り、二人の皇帝が同時に存在していることになります。) 1543年レ・チャン・トン帝はタインホアからマック氏反撃の兵を出しタンロン城へと迫りますが、策略によってグエンキムが殺されてしまい、マック氏の殲滅はできませんでした。 レ・チャン・トンは亡くなったグエン・キムの代わりにチン・キエムを軍総司令官に任命します。グエンキムの息子グエン・ホアはチン・キムに快く思われていないため、策略を使いレチャントン帝へ申し出て中部のフエに防御のためにと偽って本拠地を移動してしまいます。 1592年にチン・キエムはマック氏を破りタンロン城へ入城し権力の座に座ります。 1627年、チン氏はフエにいるグエン氏に租税を納めるように要求しますが、拒まれたために兵を出します。北緯18度線付近の中部の山脈が海へ突き出してきているあたりにあるジャン河を挟んで戦線は膠着状態が続きました。これ以来チン氏とグエン氏の南北の抗争が長く続くことになります。。 8) 広南グエン氏と西山グエン氏 フエを本拠に北のチン氏と対抗してきた勢力を広南グエン氏と一般に呼びます。ベトナムにはグエンの姓が多いので区別のためにそのように呼んでいるのです。 一方の西山グエン氏はビンディン省タイソン(西山)郡出身の、グエン・バン・ニャックと、グエン・バン・フエ、グエン・バン・ルウの3兄弟で、広南グエン氏の政治の乱れに乗じて1771年に反乱を起こし、広南グエン氏を追い詰め、最後の生き残りのグエン・フック・アインをタイ湾に浮かぶフーコック島にまで追い詰めてしまいます。 追い詰められたグエン・フック・アインはタイ湾の小島を転々と逃げ、タイへ逃れます。その後タイ軍と共同作戦で、西山グエン氏とメコン河のミトー付近で戦いますが、西山グエン氏のグエン・フエにさんざんに破られてしまいます。1785年、メコン河の戦い。 南の戦いで勝利したグエン・フエは、北進し紅河デルタ地帯タンロン城へ進攻し、チン氏の勢力を駆逐し、無力化していた黎朝の皇帝の権威を復活させます。 ところが、グエン・フエ軍が中部へ引き返した後で黎朝の皇帝は中国の支配者である清の軍をタンロン城へ入れしまい、清国の軍事力を後ろ盾にして勢力を復活させようとします。しかし結果は清の官僚に実権を握られてしまうだけとなりました。 この知らせを聞いたグエン・フエは直ちに兵をタンロン城へ向けて出発し、清軍と戦いこれを破ってしまいます。グエン・フエはすかさず清国と和睦を結び、清へ逃げていた黎朝最後の皇帝レ・チュウ・トンはむなしく1793年に北京で死亡し、黎朝は終わりを告げます。 9) 広南グエン氏の全土統一と外国勢力の台頭 ベトナム南部の地域は15世紀にレ・タイン・トンに攻められてチャンパ王国の勢力が減衰すると、広南グエン氏の時代にベトナムは次々と南部デルタ地帯を手に入れてゆきました。1757年にはカンボジア国内で内乱が起こった隙に、現在のベトナムの南部の領土をすべて占領してしまったのです。 メコン河の戦いで破れた広南グエン氏のグエン・フック・アインはタイ国内にいましたが、1787年西山グエン氏の3兄弟が争っているという報告を聞くと、フランス人宣教師のアドラン司教の力を借りて、フランス、イギリス、タイ、カンボジアの諸外国の力を借りた軍勢でベトナム国内へ戻ります。 1788年サイゴンを奪回します。1801年には広南を奪回、ホイアンを制圧します。1802年タンロン城へ入城、西山グエン氏を駆逐します。 タンロンを陥落した後、グエン・フック・アインは清国へ使者を送り清の嘉慶帝から印を賜り、越南(ベトナム)の国名を認めてもらいます。 現在のベトナム国土全土をはじめて統一し支配したのは、グエン・フック・アイン(ジャロン帝)でした。そして、その後の1世紀にわたるフランスの植民地時代のきっかけを作ったのもまた彼がベトナム統一に外国の力を借りたことに起因します。 清国では1840〜1842年にアヘン戦争が起こりました。 1884年6月8日、12歳の幼帝ハムギ帝は、フランスとの間にフエ条約を結び、ベトナム全土はフランスの植民地となりました。 グエン朝は13代バオダイ帝まで続きますが、ハムギ帝以降はフランスの傀儡政権と化しました。 |
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