日本軍とシンガポール

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■日本軍とシンガポール


 シンガポールは第2次世界大戦中の1942年2月15日から1945年の終戦までの3年間、日本軍に占領されていました。今からおよそ70年前の話で、現在の観光客である私たちにとっては遠い過去の話なので、旅行中に思い起こすことはないと思います。まして、シンガポールの人々が指をさして日本人に向かって歴史のことを語る、なんてことは今ではまずありません。

 そうであっても、やはり事実あったこととして知っておくと、シンガポールにたいして違った見方も身につけることが出来ると思いますので、ここでは、ごく簡単にご紹介したいと思います。



◆日本の植民地政策について

 19世紀〜20世紀の前半ヨーロッパ列強はアジアに植民地を求めてインド、中国、東南アジアと植民地支配を広げて行きました。西洋に遅れて明治維新後に富国強兵政策をとって西洋式工業化と軍備の拡張を続けてきた日本は、ヨーロッパに続いてアジアに自国の植民地を持つことに力を入れる政策をとります。

 もちろん植民地という言葉は使いませんでしたが、大東亜共栄圏(アジアをひとつにまとめる)という言葉に摩り替えて事実上の植民地を確保して行きました。その背景には、資源を持たない日本は、工業化による富国強兵を進めることに行き詰まってしまったため、資源を周辺アジア各国に求めざるををえなかった、という理由があったのです。


◆シンガポール占領

 シンガポールはイギリス領でしたが、第2次世界大戦が始まると、イギリスとも開戦した日本軍は直ちにマレーシアとシンガポールに向けて軍隊をおくりました。

 1941年12月に山下奉文中将率いる36000人の日本軍がマレー半島に上陸しました。1942年1月31日にはイギリス軍はマレー半島から撤退、日本軍はマレー半島の南端ジョホールバルからシンガポールへ進軍します。2月15日にシンガポールの最終防衛線を日本軍が破ったことで、イギリス軍のアーサー・パーシヴァル中将は降伏をします。これによって、日本軍のシンガポール占領が始まります。


◆占領下のシンガポール

 それまでイギリスによる植民地政策で苦しみながらも生活を続けてきたシンガポール国民は、日本軍の占領政策でイギリス植民地時代以上に苦労をすることになります。

 軍隊とは、基本的に敵の部隊に打撃を与えることに技能を集中しているわけですから、軍隊による占領統治は暴力的なものにならざるをえません。


 占領下のシンガポールでは、今まで経済を支えてきた貿易が中断してしまいました。そうすると当然のことながら、物資が不足し、ンフレが始まりました。占領前の1941年には、米0.6kgが50セントだったのが、1945年には75ドルに(およそ150倍)、卵1個10セントだったのが35ドル(およそ350倍)に値上がりしています。これに対抗して日本軍は軍票と呼ばれる臨時の紙幣を発行しますが、使用価値のない軍票はさらに混乱を増大するだけでした。


 日本軍は恐怖政治で占領政策にのぞみました。そのため、シンガポールの各所に検問所をつくり、スパイや反逆者容疑で市民を捕らえて、沢山のシンガポール国民が殺害されたのです。こうした政策により殺されたシンガポール国民は。終戦後の東京裁判では6000人にのぼるとされました。これを歴史ではシンガポール華僑虐殺と呼ばれています。


 また、日本軍はシンガポール国民にそれまで使われていた英語の使用を禁止し、日本語の使用を強要したり、住民にたいして5000万ドルというとてつもない金額の献金を要求しています。
 日本軍の占領下では、シンガポール国民は大変苦しめられたのです。


◆日本の敗戦

 日本の敗戦によってシンガポールは再びイギリス領へと復活します。その後、マレーシア連邦へ入った後、シンガポールは1965年8月9日に独立をはたします。

 現在では日本軍の占領時代の話は大戦中の歴史の中の一ページとなり、ほとんどのシンガポール国民は特に話題にすることはありません。シンガポールの中華街に華僑虐殺の歴史を刻んだ小さな石碑が残っていることで、かろうじて当時を偲ぶことが出来るだけです。








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