バンコクの歴史観光案内





◆バンコクの歴史:

 1767年タイは隣国ビルマの攻撃を受け古都アユタヤが陥落しました。その後タクシン王はビルマを撃退し、翌年チャオプラヤー川のほとりのトンブリに都を遷都します。15年後タクシン王が処刑されラマ一世の時代になると、都としては狭く湿地の多いトンブリから、チャオプラヤー川の対岸にあるバンコクへ都が移されました。

 ラマ一世はバンコクをスコータイやアユタヤの都に思いをはせ街造りを行うことに決め、エメラルド仏など沢山の仏像や建築材料をバンコクへ運び込ませました。そしてインドシナ半島一番の大都市へとなったのが今日のバンコクの始まりになります。

 バンコクという言葉の意味は「野生のオリーブの森」という意味で、もともとはチャオプラヤー川のほとりの小さな村の名称でした。ラマ一世は首都の正式名称として「天使の町にして大いなる都で、エメラルド仏の座する・・・以下ものすごく長いので略」というような世界一といわれる長大な名前をつけましたが、今日ではバンコクが正式名として使われています。




◆バンコクの歴史を観光する:


 バンコクの中心部にある王宮にはワットプラケオと呼ばれる寺院があります。別名エメラルド寺院。タイ王朝の重要な寺院のひとつで、王室の行事なども行われます。ここに納められているエメラルド仏はタイ北部からラマ一世が新王朝を設立する際に運ばせたもので、タイの王室にとっては大切なものです。また、金色に輝く寺院建物は観光客にとっても、心に残る美しい寺院として印象に残ると思います。

ワットプラケオの隣にある王宮も見学することができます。入り口で服装のチェックがありますが、Tシャツ、半ズボン、サンダル履きだと中には入れません。もしもチェックに引っかかってしまった場合は受付でレンタルの服や靴を借りて入ってください。

王宮の北タマサート大学のとなりにある国立博物館には、タイの歴史を知ることが出来る貴重な展示品が多数あります。博物館の場所はもともと副王の宮殿があった場所で、副王とは昔その王の弟などが就任する独特の地位で、権力闘争の温床でもあって、ラマ5世の時代に副王の制度は廃止されました。制度が廃止された後に立てられたのが国立博物館です。タイ国内にある博物館の中でも一番の規模を誇る場所です。

 王宮の南にあるワットボーはバンコクでもっとも古い寺院で、代々の国王からの寄進を受けて、現在のような大きな寺院になりました。巨大な寝姿の仏像が祭られていて、その大きさと迫力に圧倒されます。その仏像の横では、コインを108枚入れたカップを販売していて、このコインを108個の壺に入れてゆきます。また、ワットポーには古くから医学の学校があり、寺院の壁に古式マッサージの壁画が残されています。そしてタイ古式マッサージ学校が併設されていて、今では世界中から生徒が集まってきています。



 チャオプラヤー川を挟んでワットボーの対岸にあるワットルアン(暁の寺)はバンコクに都が移る前のトンブリ王朝時代の王室寺院で、美しい仏塔で有名です。今から200年以上前に川からワットルアンの輝く塔を見て国王はここに都を開くことを決意したと言われています。そのため別名「暁の寺」と呼ばれているのです。


 バンコクの寺院の周りにはかごに入れた小鳥を売っている屋台を見かけることができます。これは、寺院に来た人が小鳥を屋台から買って、鳥かごを開けて小鳥を逃がしてあげるのが目的です。そうすることによって善行をつんだことになるのだそうです。
 同様に川沿いの場所には、小魚をバケツに入れて売っている屋台があります。この小魚も同様に、買ってから川に逃がしてあげるのです。小魚の種類や何匹に逃がすかで、恋愛や病気など願いをかける種類が決まっているそうです。
 もちろん、鳥や魚はそのために捕ってきて籠やバケツに入れておくのです。バンコク市民の優しさと商売のたくましさを感じさせられる話ですね。









 


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