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アユタヤ王朝の歴史

前期アユタヤ王朝

 14世紀頃チャオプラヤ川流域に、スパンブリーとロッブリーというクメール王朝の属国がありました。両国の王女と婚姻して両国の力を背景に、そのほぼ中間地点にあたるアユタヤの土地に王国を建設したのが、アユタヤ王朝初代のウートン王(在位1351〜1369年)でした。

 ウートン王はアユタヤの王になると、今度は義理の兄のパグアをスパンブリーの領主にし、息子のラーメスアンをロッブリーの領主にしてそれぞれの国を統治させました。こうしてアユタヤはスパンブリーとロッブリーの力を加えて勢力を増していったのです。

 しかしながら、ウートン王の死後にスパンブリーとロッブリーの間でもめごとがおこるようになります。ウートン王の死後1369年にアユタヤの王となったのはロッブリーのラーメスアン王(在位1369〜1370、1388〜1395年)でした。

 ウートン王の息子ラーメスアン王はアユタヤの拡大を図って隣国のクメール帝国のアンコールトムに攻め込みますが、失敗に終ります。その失敗の責任をとり、王位をスパンブリーのバグア王(在位1370〜1388年)に譲ってしまいます。

 バグア王は1378年にスコータイを攻めてアユタヤの属国にします。

 バグア王はボーロマラーチャー1世と名乗りアユタヤを支配しますが、彼の死後再びロッブリーのラーメスアン王がアユタヤの国王に就任し、彼の死後は息子のラーマラーチャー王(在位1395〜1409年)が王位を引継ぎました。

 ロッブリーの王家がアユタヤの国王を就任したのはラーマラーチャー王までで、その後はスパンブリーの王家からアユタヤ王が出ることになります。

 その後もアユタヤの勢力拡大は続き、7代国王のボーロマラーチャー2世(在位1424〜1448年)の時代にはカンボジアのクメール帝国への攻撃がさらに勢いを増してゆきます。最後にはとうとうクメール帝国を亡ぼして、アンコールトムの都は19世紀にフランス人の学者Henri Mouhot(アンリムーオ)が発見するまで、密林の中に放置されることになります。

 アンコール帝国を亡ぼしたアユタヤでしたが、領土や国民の統治の方法は前王朝のスコータイとは違って、アンコール朝の方式に近く、国王の絶対的な権力を前提に国を治めるようになりました。もともとスパンブリーもロッブリーもアンコール朝の占領地であったことが影響しているのかもしれません。

 勢力を拡大し続けるアユタヤ朝でしたが、北にあるビルマが勢力を伸ばし始めます。ビルマのバインナウン王は16世紀前半に、ビルマのほぼ全域を平定してタウングー王朝(1531〜1598年)を設立します。

 バインナウン王はビルマの南に位置するランナー王国に侵略を開始し、1558年にランナー王国は壊滅、この後200年間ビルマの属国になってしまいました。

 ランナー王国の次にビルマはさらに南に位置するアユタヤーを狙い始めます。1563年にバインナウン王はランナーの軍勢を使い、ピッサヌロークを陥落します。その後ピッサヌロークの軍勢も加えて1568年にアユタヤへ侵略を開始します。

 翌年の1569年にアユタヤはビルマ軍に陥落され、スパンブリー王家の血筋は絶えてしまうことになります。

 アユタヤはビルマの属国になり、スパンブリー王家にかわってスコータイ王家の血を引くマハータン・マラーチャー王(在位1569〜1590年)が国王に就任しました。


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