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 ■フエ旅行記

フエ王宮

 2003年2月のテト正月にフエを訪れました。冬のフエは天候が不順で雨の日が多く、ちょうど私の訪れたときも冷たい雨が終日しとしとと降り続いていました。せっかくの旅行に雨降りとは少し残念ですが、そんな気候がかえってフエの古い街並みには似合うような気がします。

 フエはベトナムの地理的に言うと中部に位置し、北の都ハノイと南の都市サイゴンのちょうどまんなかくらいにあります。1802年にグエン朝初代皇帝グエン・フック・アインがフエをベトナムの首都として定めてから、1945年にグエン朝が滅びるまでの150年の間都として栄えてきた場所です。

 そぼ降る雨の中、フエの王宮を眺めながら、何故グエン朝はこの街を首都に定めたのだろうか・・・と考えていました。それまでベトナムの各王朝はタンロンと呼ばれていた北部のハノイを首都として栄えてきていたからです。日本で言えば足利氏や織田豊臣氏が京都を中心として都を造ってきたのに対して徳川氏が江戸を首都にしたことと似ているようにも思われます。



 それまでベトナムにとって北の脅威だった中国が、清朝になって西洋からの脅威にさらされて、ベトナムへ侵攻する勢いが無くなり、北部に都を置いて中国からの侵略に備える必要が薄れたこと。また中部のフエのほうが南部のメコンデルタ地帯を押さえるのに地理的にも都合がよかったからだと思います。

また、グエン朝の資料によると、フエを首都にした理由は、まずグエン氏の本拠地であったこと、そして近くに良い港があり、南北の交通の便が良かったこと。そして何よりもフエの景色が良かったという理由によるそうです。

 確かにフォーン河を中心に、豊穣な水田が広がり、自然の風景の美しさは、それだけでここを首都に定めた理由として充分であると思いました。グエン朝の皇帝の墓である廟はフォーン河沿いの景色の良い場所を選んで造られています。

 これは私だけの意見ですが、背後に山並みが見える場所はとても落ち着く気がします。例えば日本では江戸城から富士山や箱根の山並みが見えますが(ビルの無かった時代)もしも何も山並みが見えなかったら落ち着かないのじゃないでしょうか?サイゴンはとても良い街ですが、平野しかないのでやっぱりどこか物足りなく感じたことがあります。

 フエの人々は、とても心の温かい人が多いといいます。それは豊かな土地に住み、美しい自然の中で育ったからなのかもしれませんね。

ベトナムに限らず海外へ旅行して一番楽しく感じるのは、その土地の美味しい料理と風景に出会えることと、人々との出会いではないでしょうか・・・?ベトナムへ旅行した人は口をそろえて、料理の美味しさと人懐っこい人々との出会いで元気になって帰ってきたと言います。

 ベトナムでは、北部の人々は芸術を愛するインテリジェンスな人々が多く、南部は商売熱心で陽気な人が多いと一般に言われています。また、中部の人々は勉強家で心やさしい人が多いようです。実際ホーチミンをはじめとするフランス植民地に抵抗した革命家達は中部出身者が多いのです。

 そんな中部を代表するフエでも、楽しい出会いがありました。フエの代々の皇帝の廟を周るツアーは、フォーン川のボートを利用するのがポピュラーで、ゆっくりと見学が出来てしかも安く済み、とても人気があります。しかし残念ながら、私の訪れた時期は雨降りだったので車をチャーターして見学して周ることにしました。

 フォーン川沿いにある旅行社でトヨタの古い車を運転手付きで借りました。運転手はちょっと猫背でやせた40代の男性で、英語はまったくだめなので、片言のベトナム語での会話となりました。その代わり運転はおそろしく上手で、狭い凸凹道を60キロくらいで飛ばして走ります。バイクや自転車のわきをすり抜けて行くときに、ぶつかってしまうのじゃないかとひやひやしながら乗っていました。

 車をチャーターした私が初めにしたことは、雨の中を自由に行動するための雨カッパを手にいれる事でした。外国人だからきっと高くぼられるだろうな、と思いつつドライバーにカッパを買いたいと話したところ、道端のちょっと汚い店でしたが車を止めてくれて、なんと交渉をして値段を下げさせてカッパを手に入れてくれました。ベトナムでは値段を高くされることはあっても、値下げ交渉をしてくれることは大変に珍しいことなんです。これだけで、私はフエが大好きになりました。見た目は怖そうだけれど、結構良いところあるジャンといった気持ちになりました。

 いくつかの皇帝の廟を見て周ったところで、一番遠い場所にあるミンマン帝の廟に着きました。

 フランスなど外国の力を借りてフエのグエン王朝を開いたジャロン帝は1819年57歳で死去しますが、その後を継いだミンマン(明命)帝はジャロン帝とは正反対にベトナム国内から徹底的に外国勢力を駆逐する政策をとります。日本の尊皇攘夷思想も儒教からきていますが、ベトナムのミンマン帝も同様に儒教にしたがって国内から外国勢力を追い払います。このころの日本やベトナムでは儒教思想がもっとも一般的で、ベトナム政府も儒教の思想に基づいた外国勢力を国内から駆逐する政策が主流の考え方でした。

 このミンマン帝がフランスとの外交摩擦を高めた結果、フランスに植民地にされたのか、その前のジャロン帝がフランスの力を借りて王朝を開いたために植民地にされたのかは、意見の分かれるところですが、そのため、ミンマン帝の眠る廟の様式は中国の庭園芸術の影響だけを受けて造られています。もうひとつの美しい廟として人気のあるカイディン帝廟がフランスの様式を強烈に映していることと対比すると、とても印象的に感じられます。

 ところで、このミンマン帝廟へ行くには、フォーン川を渡し舟で渡らなくてはなりません。渡し舟はこの地区の人民委員会(ベトナムの役所)が運営していて、料金は55,000ドン(約500円)かかります。

 向こう岸へ渡るときはお客さんが大勢いたので、なんとなく渡ってしまったのですが、よく考えてみると、渡し舟の料金は往復なのか、片道なのか聞くのを忘れていました。値段的にはどう考えてみても往復料金だな、などとつまらないことを気にしながら渡し場へ戻ってきてみると係りのおばちゃんがちゃんと私の顔を覚えていて、雨にぬれない場所にプラスチックの椅子を用意して座らせてくれました。

 そのあとで係りのおばちゃんは川岸へ降りて行って手を振って向こう岸にいる船にこちらへ来るように合図をおくりました。なるほどそういうシステムになっているのかと関心しました。向こう岸の船がこちらに来るまでに、おばちゃんが入れてくれた熱いベトナム茶をすすりながら、片言のベトナム語で世間話をして船を待ちました。ベトナムでは何処に行ってもこの渋いベトナム茶が出てきます。

 ふとおばちゃんはポケットから日本の10円玉や100円玉の小銭を出してきて、これはいくらになるのか、ときいてきました。勘定してみるとだいたい500円くらいになります。どうしたいのかとたずねると、ベトナムのお金に交換してほしいと言ってきたので、5万ドン札をだして、これくらいだよ、と言って交換しました。ほんとは6万ドンくらいになるのですが、計算がめんどうなのと、日本人観光客からただでもらった小銭なのだから、まあいいや、ということでこんなところで1万ドン儲けてしまいました。でも、おばちゃんも儲かったと思うし、日本の旅行者も重たい小銭を処分できて助かったということで、とりあえず、めでたしめでたし…。 こんな行きずりの楽しい会話も、ベトナムの良い思い出としていつまでも心に残っているのです。

注:現在は川に橋がかけられ、車でミンマン帝廟まで行けるようになりました。







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